真ん中の人たちの将来

久しぶりに来た友人と歓談。中国を良く知る彼女からは学ぶことが多い。

1)問題は真ん中の人たち。
確かにトップのこの辺(上の層)の人たちの生活はある意味で日本を抜くほどになっている。しかし、問題は真ん中の大部分を占める人たち。この人たちの生活は本当にドロドロな封建的な世界に縛られたままで、旧態依然としている。この人たちはどうなるのか?

確かに上の方ばかり見ていては見失う。大多数はこの真ん中の人たちだ。免税店で化粧品の商品を放る女性、床に落ちたそれを拾おうとしないそのボーイフレンド。これは、文化のレベルであり、こういう人たちのことだ。確かに、なんで春晩があんなに趣味が悪いかということ、こういう真ん中の人たちにターゲットを当てているからああなるわけだ。これぞ、中国の現実でもある。

2)不可解な行動に出たら、何かあると思え
ある人と一緒に協力していた中国人の友人が、仕事を明日だす、来週出す、明日、と言って伸ばして、最後はごめんなさい、できません、と言ってきたという。そのことに勿論知人は非常に立腹していたのだが、M氏いわく、そういう不可解な行動に中国の人がでたときは、何かのメッセージと思った方がいいと。本当にできないわけない、意図的なものなのだ、と。なるほど。この当たりも、いろんなことに出会っているから分かる勘がいい。

3)北京に来るたびに日本での中国とここで見る中国があまりにも離れていることに驚く、と。その位、日本では中国のことはもういい、聞きたくない、という逃げとさえ思われる態度が多いとか。相手を嫌い、と悪口いう方がまだいい、相手に関心があるから悪口をいうのである、と確かにこの前も知人が言っていたなあ。相手に無関心になったら、どうでもいい、となったらこれぞ、本当に危ないのだ、と。今の日中関係はまさにこれかも。

これ、五つ星のロビーで歓談して考えた本日の北京なり。