「だから、今は良い」の重さ

作文は子供の頃好きだった?とWさんに聴いた。「嫌い。私は小学校は3年しか行っていない。」

 

今、30代の彼女が小学生だった80年代当時、学費は2元、教科書代は5元で「高かった、払えなかった」。学校を辞めて、家の農作業を手伝った。その頃は先生の薪も生徒が順番に寄付した。生徒だけでなく、先生も大変だったのだろう。

 

食べ物もろくになくて、家で食べるのは小麦もカスの黒い部分(黑面粉)やとうもろこしの粉。白い小麦のマントウはお正月位。食糧は国にあげた。食糧を納めにいくと、大きな扇風機があった。近くに残った良く実った小麦は全て国に納め、軽くて遠くに吹き飛ばされた小麦をほおきで掃いて集めて持って帰って来てそれを食べたという。

 

年貢を納められないと政府の人が家まで来て、叩くなど暴力を振るったと言いながら遠くを見る彼女の表情がキリッとこわばった。「野蛮だった」。農業税などの税金もあり、それは「あの首相、誰だっけ?江沢民じゃなくて?その時までよ。」「そうそう、温家宝!(の農業税廃止2002年頃)。それまでは本当に食べるのがやっとで、貧しかった。だから、今は良くなったよ」と。

 

言葉を失う。昔があまりに大変だったから、それと比べれは、今は全て飲み込める。

彼女の正直な所だろう。それを私がどうこういう事ができるだろうか?

 

「今は政府が農村の農民を面倒見るというけど、昔は私達が国に差し出して面倒見た。農村の老人だって働き詰めて、年貢も税金も払ったのに、都市の老人みたいにお金はもらえない。今は月100元。5~600あれば、良いけど。」とも。

 

決定的に違うリアリティを持った厖大な数のwさんのような農民がいて、それが今の中国を作っている。

 

これ、本日の北京なり。