トイレよ、ああトイレよ‐‐北京トイレットペーパー報告

近年公衆トイレに紙をおくかどうかが話題になっている。新京報26日のA16面。

今年に入り北京市が管轄する2級以上の公衆トイレに無料で紙を設置することになった。実際に記者が西単の公衆トイレ15か所を調査したところ、

2か所の2級トイレは毎回80メートルの上限付きで提供
残りの13か所はなし
8つのデパートは半数がなし だったという。

置かない理由は「持っていかれて、著しい無駄が広くみられる」ためとか。

(↑この点、日本の人には説明が必要かもしれない。中国には「タダのものは自分が持っていかなければ、他の人が持っていくだけ。ならばなぜ持っていかないのか」という理論を熱心に信奉・実践している人がいる。一般的に飢えなど極限の苦労を経てきた60歳以上の世代に多い。)

また、先進的なトイレとして人民大学のトイレがレポートされている。
「23日、記者が人民大学ビジネススクールの6〜10階のトイレを見たところ無料の紙があった」と大真面目に報告。大学でもトイレの紙がないのが普通だからこそのレポートだ。

北京師範大の王振耀は「トイレットペーパーは最も基本的な民生だ」という。「トイレットペーパーは些細なことではない、人への尊重、管理の文化レベルなどにかかわる。」「大学は素質の高い人材を育てるところなのに今の汚いトイレでは国際的な人材は輩出できない」という。

さらに、ごみ処理などの環境保護で日本にも視察に行って発言している黄小山氏は、日本のトイレを惜しみなく賛美。

「日本のトイレは洋式だが、温かく、洗浄、ドライができ、便座ペーパー、トイレットペーパー、ハンドクリーム、フェイスクリーム、香水など5種類以上が常備されている。トイレは一種の文化だ、一国がトイレをこれだけのレベルに高めることができれば、何をやっても自信を持てる」

ちょっとオーバーだが大体はあっている。それに引き換え…と歯に衣着せぬ自国のトイレ批判が続く:

「北京のトイレときたら、オフィスビルでも午前中はまだ紙があるが、午後はない。紙を替えるおばさんによれば人によっては自分で1メートル使ったあと、5メートル家に持って帰ると言うじゃないか。自分勝手で、けちな損得勘定をする。これは一種の悪しき民族性だ。」

ここまで来ると、トイレ日中戦争になりかねない緊張度だ。こういうことは他人に言われるとひどく辛いことだから、やはり中国人民自身がこうやって反省して改善していくのが一番だろう。

トイレ、されどトイレな本日の北京トイレ事情でありました。