子供は老後の保障

中国の教育問題の根には古い大人の「子供観」がある。

ここに米中家族の比較をした面白い記事がある。(11年10月21日中国青年報)
中国の家庭では儒教の伝統から子供を自分の老後の保障のために産む。親にとって育児・教育は一種の「投資」で、成長後は精神・経済面両方で子供は親に報いることが求められる。これは子供の義務だからだ。(子供に責任が生ずる)

一方アメリカでは、親こそが子供を産む選択をしたわけで、子供を大学まで育てるのは親の責任となる。子供が成長した後、親の言うことを聞いたり世話をすることは求められない。子供の選択となる。

アメリカでは子供が親の面倒をみるのは義務とはされていないものの、実生活では子供は親との間に深い感情を育むので、成人しても親に会いに来たりするものだ。第一政府が老人の最低限の養老保障をしている、という。

今日のドライバーも一人娘が将来、家から巣立ったらどうしよう、と気を病んでいる一人だった。娘は大学生。成績も結構優秀で、北京のまあまあの大学で日本語を勉強している。

「2人目の子供は経済的に問題がなくても育てようとは思わない。子育ての精神的負担はものすごい、あんたもそのうち分かるだろう。中学に上がるとき、高校に上がるとき、とにかく大変なんだ。」と、子育てにはかなり苦労したらしい。

環境問題の話から「孫」と私が一言言ったとたんプライドの高いちょっと古いタイプのこのおじさんは急にショボンとしてしまった。

「心の準備はしているが、せっかくこれだけ一生懸命育ててきたのに、娘が、あんたみたいにある日突然遠くへ行ってしまったらどうしよう」というのだ。

専業主婦の奥さんは自分の「宝貝BABY」として大切にしているそうだ(昨日の夜も自分で紅焼手羽を作った料理もする夫である)。「夫婦仲も良いのなら、娘さんが居なくなったって良いじゃん」、といっても納得しない。

娘に置いて行かれる自分の将来を悩んでいる。因みに、日本人の男性になんか絶対娘はやらないという。「酒を飲んで、奥さんを重視しない、俺みたいに料理の出来る男なんかいないだろう?」と。(愛国者として一応反論しておいたが、少々苦しいものもあった)

「子供の教育は将来への投資」、この考え方がこの国の教育をおかしくしている。
子供自身が「良く生きる」という子供中心の考え方は、この国ではまだ贅沢というものなのだろうか。