習近平の二面性

習近平をどう評価するかこれは分かれるところだ。昨日会った知人は非常に重要なことを言っていた。

習近平が中央集権制を進めて、強権的になり、ネット規制や人権派の拘束など抑圧的に動いている、というのは事実。実際ネットの使い勝手が悪くなり、外国人管理が厳しくなり、私も窮屈になり、憤慨している人間の一人だ。

だから、中国の矛盾はさらに精鋭化して崩壊にむかっているのだ。というのが今の日本で伝えられる一般的なストーリー。しかし、これは日本の複雑な心理が後押しする「希望的観測」にすぎなくはないか。そして、落ち着いて考えればこんな「希望」自体が、あまりに現実離れしている。(中国が崩壊することで一体日本はどこが儲かるというのだろうか?)

習近平に戻るが、彼のもう一つの評価は、徹底した腐敗対策をして、公務員や党員のこれまでのおごりにメスを入れている。贅沢禁止令を出してそれは徹底している。公務員も庶民もこれに対してものすごく支持している。

ようやくやるべきことをやってくれるリーダーが現れた、という雰囲気は強い。

知人が言うに、中央の政治ばかり見ていても、また、巷の社会現象ばかりを見ていてもだめ。両方を見ないと、と。習近平が市民にどう評価されているか、は実に大切なファクターだという。そして、彼の支持率は毛沢東、訒小平に次いで高いという。

もう一つ、民主化について。中国の民主化と西欧でいう民主化は全く異質なもの。中国の民主化というのは偉い殿上人が庶民の声を聞き入れて会議の拍手で決定して物事を進めるということ。選挙などとは違うと。

西欧的な民主化を求める声は確かにあるし、私も間違っていないと思う。ただ、彼らが大多数の中国庶民と乖離してしまっているのも事実。庶民が関心があるのは、自分の生活防衛だ。環境汚染ならデモに行くが、民主化ではいかない。

今、キーワードになるのは、こうした生活防衛やネットなどの庶民の見えない圧力だ。これは政府も無視できない。このパワーをどう概念づけて説明するか。これはこれまでになかったのか、何が違うのか、どういうときにそのパワーが政治に影響を与えるのか?

習近平は自分の父親がかつて目指したきれいな理想的共産党主義への回帰を求めている。それが可能かどうかという選択肢ではなく、それしかないからだ。それ以外は共産党の放棄しかない。大きく鉈を振るううえでの「雑音」を消して改革に専念している、という。

こうすることで中国はより強化される。それが習近平のもう一方のシナリオなのだ。
日本では中国は忌々しい国で明日にでも混乱して崩壊してしまえばよい、という感じだが、そのイメージはあまりに現実離れしている。現実を直視すれば、そんな能天気な悪口ばかりに呆けている暇はないはずだ。

これが、どうやら彼の本のメッセージの一つでもあるようだ。
これ、本日の北京なり。