受刑者子女の養育機関、太陽村訪問

子供のクラブが急に週末に太陽村という受刑者子女を世話している機関に植林・いちご狩りツアーに行かないか、と誘ってくれた。本当は家族で3連休なので山にでも行こうかと思っていたが相変わらず、行動が遅くおじゃんになったし、子供も行きたいというので参加した。

この機関は、1996年にもともと陝西省の監獄の新聞記者だった張淑琴(70歳)さんが、受刑者子女のための施設として設立。これまでに西安、青海省、河南省、江西省などでも同じような姉妹機関があり、合計500人の1歳から18歳の子どもの面倒を見ているという。

維持費を得るための大きな農場も持っている。順義県から安く30年の契約で借りているらしい。
「该基地面积500亩,种植了5万株枣树,3000株桃树,用其产出支付抚养孩子所必须的饮食、医疗、教育等费用。通过辛勤的劳动,每株枣树已有15-30斤的果实,与爱心人士互惠互利,共同帮助孩子渡过难关。」

そこに、海棠の木を寄付&植林してきた。1株150元(訳2800円)。いちご狩りはとっても熟したおいしいいちごをたくさん食べて、刈り取った分は500グラム40元で買い取ってきた。街中の売値の4倍と高いが、以前のいちご狩りは食べられなくて確か60元だったから、相場と比べると高くない。

創始者の張お婆さんにも、その娘さんにも会ってきた。張さんはとても70歳には見えない気力と美しさ。子供達一人ひとりに真剣に話しかけ、ハグする精力的な人でとても好感をもった。「政府の司法部門、民政、公安部門を回ってこの子供達を保護する施設が必要だと言って回ったが結局誰も何もしてくれない、タマーダ!(クソッタレ!)仕方なく自分でやることにした。」と肝っ玉と迫力のある語り口で、自分の来た道を語る。

本当に普通にこれだけ、やってくるのはさぞ大変だったのではないかと思う。20年に渡って1000人以上の子供達の面倒を見たというのだから。中国ではこういう組織はいつつぶされてしまうか分からない。不法だ、と言われてお取りつぶしになるのは本当に簡単なこと。事実私の友人も河南省のエイズ村でエイズ孤児を支援する組織を立ち上げて子供達の面倒を見ていて、全国紙にも載って注目されていたのにあっという間に政府によってつぶされてしまった。

今回の訪問での印象は総じて好印象。張さんが、子供一人ひとりに眼を見て語る姿が印象的だった。親も話し合いに参加して、といわれて、「今日貴方たちが植林したことでどんな良いことがありますか?どう支援してくれましたか」と聞いて子供たちが「この村の子供を助けた」「この組織の運営を助けた」などと答えた。それに対して親はどう思いますか?と問われ、誰も答えないので私が『今回、普段考えないことを考えさせられて良かった…」と言うようなことを答えたらシャリ―ンと張さんが遮り、違う、子供の発言についてを聞いているのだ、という。ちょっと怖かった。が、まあ、彼女は子供だから分かんないだろうと思ったら大間違い、子供は何でも分かっている。と言うことを親から引き出して、いいたかったらしい。

一方、村につくと、自家用車が15台くらい、そのほか大型バスが2,3台停まっている。赤や黄色のお揃いの「愛心太陽村活動」と言うようなロゴ入りのT-シャツを着た団体もたくさん寄付物品を持って来ている。印象は「随分手広くやっているんだなあ」という感じ。
また、農場に行ってその規模の大きさにも驚いた。本格的な農場だ、デカい。

また、この記事を書くのにググったところ、かなりひどい誹謗の記事もあった。財務がめちゃくちゃで不透明、違法だ、と言うのは多分本当だが、それを言っちゃおしまいよ。中国ではほとんどの組織がある意味ギリギリなんだし。物資を売って現金化しているというのはあり得る。彼らの物資は余っていて金が不足している可能性はある。一番ひどかったのは2005年から1年間この村にいた当時の張さんの知人の男性が子供達に手を付けたという記録だった。

まあ、閉ざされた空間だからいろんなことが起こり得るだろう。一般の公立高校でもそういう事件はある位だから。勿論許されることではないが。こういうことはどんどん表に出して批判すべきだ。

その事件が発覚してこの男性は居なくなったという。これが本当かは分からないけれど、いろいろあるだろうけれど、誰もやらなかったことを一人で一念発起してここまでやってきたのだからそれは評価されるべきだろう。張さん、ちょっと怖いとか、子供の管理方法が旧式だとか問題はありそうだが、それをもってすべてを否定すべきではないだろう。

そうそう、ここでボランティアをしている人とも知り合いになった。8年仕事をした男性と3年ボランティアをした女子学生が昨日結婚式を挙げたらしい。村は大賑わいだったとか。

中国で慈善活動をする難しさと、そういえば私だってこういうことをやるつもりで貴州の村に入っていたのだったことをハタと思い出させられた。

とにかく、ここから元気な子供たちが育ってほしいものだ。
これ、本日の北京なり。