失敗エッセイ「北京生活の便利さと不便さ」

この一週間、中国語雑誌向けのエッセイを「中国生活の便利さと不便さ」で一本書いていた。

まずは、不便さ。

1.日本のサービスは世界一だ。宅配は時間通りにくる。6つの時間帯を詳細に指定できるなんて奇跡に近い。中国でこのサービスを導入しようと思ったら大失敗だったという経営者の話を読んだことがある。中国では職場が家感覚。郵便の受け取りも職場という国営の習慣がまだ色濃くあり、いつも誰かがいる職場では時間指定のニーズがない。

その上、最近のネットショッピングなどの「お宝」は買った後、職場でビリビリ開封して同僚に見せびらかして品評会をするのが楽しみ、という日本には無いニーズがあるという。確かに女性にとって買い物の「品評」は非常に重要だ。かく云う当方も例外に漏れず、先日同僚がネットで買って職場で受け取った子供服の品評をベラベラやったばかりだ。

2.日本のサービスで素晴らしいのは店の店員さんが「販促」ではなく、商品についての真面目な「専門家」である点だ。中国は商店の「服務員」といえば、純粋な「販促要員」で、口から出まかせ連発で役に立たないばかりか、買い物の障害になることもままある。値段を聞いたら「あんたには買えない」と言われて大いに気分を害されたことさえある。

3.「不便さ」を語る際避けて通れないのは中国の病院だ。これはスクラムを駆けて駆けて駆け抜けないと医師の前まで到達しないし、随時他の患者がアタックしてくるのを気迫と俊敏さで防御しなくてはならないから、めちゃくちゃくたびれる。医者と医療資源が患者に対して少なすぎるのだ。

4.総じて中国にいると日本ではいとも簡単にいく任務の遂行にあたって、いやでも「闘争態勢」に入らざるを得ない。中国で生きるのは楽じゃない。

5.一方、中国生活の便利さは日本より気軽なこと。特に子供がいると中国は楽だ。子供がちんどん屋のような格好をしていても、寛容になれる。子供がバタバタアパートの中で走ったり、私を大声で怒らせても問題にならない。(その代わり、こちらも隣近所のピアノのレッスン等に付き合わされるが、お互い様なのだ)日本では子供がいると、それ自体が原罪かのように、いつも周りに謝っていなくてはならない。

というわけで、不便さばかりに花が咲き、便利さがショボすぎる不均衡な文でどうも収まりが悪い。結局、没の運びとなり、また一から書き直したのでした。