これは錯覚か?今どきの中国トイレ事情

少々下劣で申し訳ないが本日はトイレの話を一つ。

中国のトイレはいろんな意味で有名だ。昔農村を回った時、アフリカを含め世界中を旅してきたずんぐりむっくりのツワモノカメラマンは「参った、こんなにすごいトイレは今までにない」と世界のトップの座を認定したほど「すごい」のもある。

また、その「オープンさ」も有名で、ドアがなくて前の人と自由に交流できる「ニーハオ・トイレ(単数形のこんにちはトイレ)」や、壁さえもなく前だけでなく左右の人すべてとトイレ端会議ができる「ニーメンハオ・トイレ(複数形の皆さんこんにちはトイレ)」も胡同ではお馴染みだ。

また、サーカス顔負けで明らかに洋式トイレなのに和式の要領で挑んだ逆さ「靴跡」にでくわすこともちょっと前まであった。

しかし、これはもうひと昔の北京。「最新」のトイレ事情は随分これとは違う。

公衆トイレに紙が置かれるようになったのも革命的だが、何より驚くのは80年代、90年代以降生まれの若い乙女たちがトイレで見せる潔癖症だ。

イマドキのショッピングモールのトイレは専属の清掃係がいてかなり清潔で、日本のデパートのトイレとほとんど変わりがないのだが、若い人は洋式には入りたがらないのだ。

人がごった返していても、和式があくまで断固待ち続ける若い女性をよく見かける。
「こちら空いていますよ」と呼びかけても「私は入りません」と言われる。別に汚いわけでもないので私がお先に失礼させてもらうのだが、急に自分が「すごい」トイレに慣れた中国の農村出身者で、向こうが日本から来て中国のトイレを怖がる乙女のような錯覚に陥る。

急変する中国社会。ここはトイレも又いろんな顔がある。