「適量」とけちと大盤振る舞い

世の中には気前の良い人もいれば、けちな人もいる。中国の基本計量は1斤、500グラムだ。一方日本は100グラム。中国の程良いとされている量はざっと日本の5倍!ということだ。

日本でお茶をいきなり500グラムもあげたら嫌がられるが、中国で100グラムのお茶というのはまずあり得ない。だから中国の人は一般にこんな細かい?日本人をけちだとおもっている。

さて、一方で中国にもけちはいる。70歳代のお年寄りに多く、節約が一種の生き甲斐になっている。確かに60年代の飢餓を体験し、貧しかった文革中に子育てをした彼らがモノにこだわって節約するのは納得いく。

例えば、スーパーの特売で開店前から1,2時間並ぶのはこういう人達だ。聞いてみると普段1斤1.5元の中国パン(「餅」)が今日は02元安いという。今どき0.2元では何も買えないのになあと思うが、彼らはこの安売りの品を手にして実に満足気だ、

知人のある70歳代のおばあさんはその道で右に出る者は無い。野菜でもクッキーでも卵でも傷ものを安くまとめ買いするのが日課。有料のレジ袋(0.1元)は絶対買わない代わりに、無料の袋はたんと失敬する。水道は常にポタポタ出しておいてたらいにためて使う(流水量が微量すぎてメーターに感知されないという)。タクシーはおろか、地下鉄(2元)さえも乗らず、どんなに遠くでも0.4元のバスで移動する。

しかし、60歳前後の若いお年寄りとなると全然違う。昨日会った31歳のお母さんの義理の両親は気前が良すぎてこれまた問題という。孫を可愛がるばかりに、文房具を買ってくれるのは良いのだが、消しゴムも一箱。ノートも束でくれるもので、毎回段ボールいっぱいになるという。過ぎたるは及ばざるが如しとはよく言ったものだ。

ちょうどいい「適量」をはかるのは、案外難しい。