中国化する日本と日本化する中国― 「ありがとう北京」報道 VS「感動をくれた日本」報道

90年代に留学した当時の新聞と言えば、人民と光明日報の他は、学生は参考消息、庶民は北京晩報位しかなかった。

日本人の友人とジョークで北京晩報に投稿しようかと企んだことがある。
題名は「ありがとう北京」。こういう題なら必ず載るからだ。
その当時、外国人が中国のことを書くとすると如何に中国の人の温かい行為に感動したか、という美談ばかりだった。

勿論国内のことを中国人が書く場合も全ては「バラ色」、こんなに素晴らしい達成があった、というものばかり。

ところが、最近は違う。加藤嘉一さんが日本で批判されているが、彼が中国人の人気を集めたのは新しい中国の読者が彼の謙虚ながら的確な「ここがおかしい中国人」的な指摘を面白がったからだ。もっと、普通(国際的な)の視点と感覚からみた中国評価を聞きたいという当たり前のニーズが中国にも出てきた証でもある。

ところが、数日前、日本はその反対を行っているのでは?と思える原稿依頼が来た。

「(外国人が)日本で感動したエピソードを聞かせてください」「日本がクリエイティブだとおもう点は何ですか?日本人の良さを表すエピソードを教えてください。
海外での日本人への見方を好意的な話を中心にまとめてください」という内容だ。

中国メディアからの依頼かと一瞬、自分の目を疑った。まるで90年代の北京晩報だ。

日本では悲観論がまん延し、自信を失っているから、外国からの視点で日本の良さについて再考するというのは確かに理にかなうし、良いことではある。

それにしても「日本の印象」としないで、「日本の良い点」と挙げてしまうところまで日本は自信喪失なのかと思うともう、これは笑うしかない。

それに引き換え、この「何か良いこと言って〜」丸出しの質問に対して中国の友人からは非常にありがたい答えが返ってきた。喜ぶべきか、悲しむべきか。

これ、本日の北京なり。