職人業の時代は終わり?

今日、日本の経済専門家になぜ日本企業はこんなに大変なことになっているのか聞いた。

彼の答えはおおよそこういうことだ。松下、ソニーなど日本を代表する製造業では、一昔前まで日本が得意とする職人芸による細かい質の高いモノをつくり、それなりの価格で国内外で売れた。ところが、今はデジタルの時代となって、技術での差別化ができなくなった。CDだってグルグル回したが、今やデジタル化され、グルグル回す必要はなくなった。

デジタル化された電化製品は韓国だろうが、台湾だろうが、中国だろうが基本的にどこでもモジュール化されて安くできる。日本の得意分野は活かされない。

それどころかコスト競争では、日本は韓国に勝てない。アップルのように自社工場を一つも持たずにデザインして、中国などで作らせて、たっぷりデザイン料を取る。自社工場を持っている何ていうことがすでに、価格競争では勝てない要因になりつつあるとか。

じゃ、低価格製品ではなく、ハイスペックの高級品なら日本の強みを活かせるからやろうとしたが、市場はそこまで凝った内容は求めていないということらしい。それで、こちらに賭けたこれらの日本企業はバタバタと倒れ始めている、と。

日立や東芝ももう儲からないテレビなんて作らず、重機で儲けている。オリンパスもカメラじゃなくて内視鏡で儲けている。作る商品もスパスパ時代に合わせて変えていかないと行けないが日本は生真面目で急変できない。

つまり、身軽に、新しいアイディアで安いところで作る、というのが時代のニーズらしい。

車はかろうじて日本の職人芸がまだ活かせるが、これも電気自動車になった途端、自動車は電化製品に変質して、日本の優位がなくなってしまうとか。

日本の生真面目な技術でしっかり作ったモノが世界の市場で有利に売れる新しいニーズは無いものか?

そうそう、日本の中間層の存在も、そう言う技術屋さんが居たおかげ。アメリカみたいにデザインをするアップルトップとそれ以外は単なる工場労働者と二分されてしまうとさらに2極化が進むと。

経済が成長しないといろんなところにしわが寄せられてくる。1930年代の再来?なんて言われているが、そりゃ困る。新しい時代の新しい可能性をうまくつかめないものだろうか。

北京の大使館で、こんなことを考えた。