本日は自転車屋さんのおっさん(たぶん40半ば)とそこでおんぼろ自転車を修理していた50後半のおっさんとの会話。

自転車屋の(後で発覚した)3人のパパのおっさん、『あんたは韓国人か?」違う、『中国人じゃないだろう」そう、じゃあ日本人か?そう。

すると奥で自分のちゃりの修理を腰かけておしゃべりして待っていたおっさんがちょっと緊張した面持ちになって言う。
「日本の安倍は最近どうなっているんだ」
「日本人は戦争のことを「淡」に捉えているんじゃないか」

自転車屋のおっさんは「それは前の世代がしたこと、彼女とは関係ない」
「僕は日本人は結構好きだ、買い物も気前良いし。この大学にも日本人留学生がいて昨日自転車かっていった」

「最初に君は日本人じゃないかって本当は思ったんだ、でも最近はあれだから、そう聞けなくて」
「不高心な人がいるから?」そうそう。
「でも君は中国語が上手だから言わなきゃ分らないよ、大丈夫。」

心配されてのこの一言。却って心にしみる。日本人の地位もここまで落ちたということだ。
日本人と聞いたら失礼だから聞けなかったということ。
あと、あんたは中国語がうまいから日本人とは他の人も分らないから大丈夫。

このねじれた地位の失墜を感じさせられたそんな自転車修理だった。
これ、本日の北京なり