シリコンバレーの友人

大雨注意報が出ていた今朝、北京在住の米国人クラスメイトから電話が入り、アメリカに残った中国人学生のHTが北京に来ていると連絡があったという。何でも本来は今日カルフォルニアに飛ぶ予定だった飛行機がこの前の事故で飛ばなくなって、滞在が数日伸びて連絡してきたらしい。

HTに最後に会ったのは10年以上前の事。まだ、彼はその時は独り者だった。

保利のカフェで待ち合わせした。あのちょっと寂しげシャビーな服装と雰囲気は変わっていないだろうな、その後、結婚もしたはずだ、まだ何か怪しげなセールスをしているのだろうか?と想像した。

10年ぶりに現れた彼は前の痩せてぎらぎらした目はなくなり、少しだけ肉付きが良くなり、ふっくらとした中年のおっさん風になっていた。思って見れば私も叔母さんだ、当たり前なのだが。

一気に10年分の出来事をお互い報告したが、彼はこうだ。シリコンバレーのITセールスを数年し、07年に一回上海で起業したがITは政府が抑えられていて無理と判断、08年にシリコンバレーで不動産ディーラーを開始した。子供は7歳の男の子がいるというから、その数年前に結婚。相手は10歳年下の元々北京の弁護士で、彼女の米国留学中に知り合った山東省のキャリアウーマンとか。

結婚当初はお互い大変でもう少しで離婚の危機もあったらしい。そのあと、happily surrender(降伏、しかし、ハッピーに)したという。

今ではLAで四川省でお医者さんを引退した両親が来て、5人で暮らしているという。親も3年前に来た時は嫌がっていたが、今では、親の友人も増え、お母さんは趣味の絵でちょっと有名にもなり、英語も週2回勉強し、「ここが私達のふるさと」と言うまでアメリカに馴染んでいるという。

そのほか、彼がはまっているのはゴルフ。ゴルフは小さな人生、と言いきる。何が起こるか分からず、それが面白いという。一週間に3,4回やるというから優雅だ。家から車で30分以内の場所に10カ所もゴルフ場があるとか。

そうそう、家はgoogleやiphone本社の近くで、この前も600万ドル(約6億)の家を石家庄の不動産業ラオバンが現金で買うのを手伝った。この家を狙っていたもう一人の買い手は百度の李社長の奥さんだったという。彼のオファーが五十万ドル多くて彼が手に入れたとか。

このあたりはスタンフォード大学のパルアルトにも近く、人気が高く、この1年で25〜30%土地が値上がりしているという。彼のクライアントは8割が北京大、清華大学出の技術者。因みにこの「珪谷」(=シリコンバレー)の技術者の3分の1が中国人、3分の1がインド人、残りがUNという。彼はこうした中国エンジニアを相手にかなり儲けているようだ。

その彼はもう一つ熱心なキリスト教徒にもなっていた。運命は自分の努力で切り開くものと思っていたが、違う、運命は決まっているのだ、という。これまで寝る暇も惜しんで成功に向かって突き進んできた彼はこう思うことで一皮剥けたのかもしれない。

知り合った当時は本当に貧乏学生で、中国に電話するのもままならず、確かうちの電話を使わせてあげたこともあったように記憶している。その時、電話の向こうの四川省の母親がしっかりやりなさい、といって泣くと彼から聞いて、私まで胸が痛くなったのを覚えている。

故郷に錦を飾らなくてはならないという一心であの頃彼は必死だった。テキスト代も節約するために図書館に通いづめ、成績は数多い留学生の中で確かトップだった。留学生オフィスに確かそう張り出してあった。

そんな彼が今や親を迎え入れ、今回は嫁さんの兄家族と両親もつれて、1カ月かけて四川省と雲南省の豪遊に来たと言う。彼は一足先に帰るが、奥さんたちはまだ旅行中とか。

私の原稿料を聞いて「ええ〜それっぽッち?!」と驚くほど(確かに原稿料は雀の涙なのだが)彼はすっかりリッチになった。思えば先進国からの学生だった私やアランと途上国中国からの貧乏学生だった彼だが、この立場は20年後全く平らになった。

ちゃんと昔ながらの親孝行もできている。大家族の長として十分な役割を果たしている。子供もいる。ああ、良かったと、人ごとならがら心底思った。

小雨がやんだばかりの東十四条で別れ、彼は一人で横断歩道を渡って行ったが、以前のギラギラした怪しげな黒光りは無くなり、妙に牧師さんのような静けさが漂っていた。解脱して、安定したのは喜ばしいが、どことなく、背中が寂しげに見えたのは気のせいだろうか?一体彼はハッピーなのだろうか、と全く余計なお世話ながら一瞬考えてしまった。

これ、本日の北京なり。