中国の問題解決型性格

問題解決に猪突猛進

中国的考え方の特色を上げろと言われたら、まず、現実的、と挙げる。
日本語の「現実的」といより、英語のプラクティカル、というのがよりぴったりだ。とにかく、現実の問題解決に必要なことのために猪突猛進する。

以前に中国の少数民族の農村で婦女の地位向上を目指したプロジェクトを実施していた時も、中国のカウンターパートは私がこれこれが問題だというと、その真意や背景をきくことなく、「わかった、それじゃ、こうしよう!」と次の一歩に向けて話を進めた。

なんでそう考えるのかとか、なぜそれが問題なのか。どうしてそんなことになったのかということは問題にならない。お陰で話は速いので助かるのだが、随分違うと感じたものだ。

今日もオフィスで2002年度版のマイクロソフトのシステムがいよいよ寿命で、中国語と日本語の変換ができなくなり、ヘルプを中国人のZ君に頼むと、彼はグーグルの日本語を試し、次に百度の日本語無料ソフトをあちこちから何度もダウンロード。結局、以前にあった百度のソフトを一端消してダウンロードしたら解決したらしい。

「なんで、さっきから同じことをしているのに、できなかったの?」と聞くと「分りません。僕は問題が解決すれば良いと考えるタイプなので」と返事がきた。なるほど、Z君は典型的な中国的思考の持ち主だ。

最近日本でも漢方的なアプローチが注目されている。私もまさに中国の叡智の結晶とも言える漢方的な知恵にはすっかり敬服しているのだが、この漢方と言う知恵も中国的だ。

何がといえば、これは経験値による知恵の集大成なので、「なぜそうなるのか?」という理論的説明はできないし、元より求めていないのだ。体が冷えた時にはショウガで温めるのが良い、という知恵を経験から集めているが、なぜショウガなのか、ということは聞いてもいなければ、答えようともしていないのだ。

友人に政府に文句を言わないのか?と言えば「勝てないけんかはしない」という。何と言う日和見主義かと一端至極残念に思ったが、良く良く考えてみれば一理ある。喧嘩は何のためにするか、と言う問いは、中国では「相手に勝って自分の主張を通すため」である。日本では、正義のためとか悔しいから、ということも声を上げる十分な理由になるが、こちらはそう考えない。勝つためなら、勝ちそうもない時は喧嘩をしないと、言う選択は非常に合理的だ。

以前、パスポートを忘れて空港に行って、SOSの電話をしたら、電話の受け手は一つ返事で「分った、すぐ届ける」と言ってくれたのもこれまた中国的。なぜ忘れたか、なぜチェックしなかったのかを議論しても始まらない、今あるのは問題解決のみ、という姿勢に自分のおっちょこちょいのダメさと中国の研ぎ澄まされた合理性につくづく脱帽したのだった。中国の合理主義、恐るべし。