孤独にさせてくれない四合院

我が家には10年近く世話になっているお手伝いさんのワンさんがいる。浅草を彷彿とさせる、北京の下町、前門のすぐ裏の胡同に住んでいる。北京の下町独特のアール化する発音で話し、声は大きく、はっきりと物を言う。それでも、7人兄弟の末っ子で両親にかわいがられたらしく、とにかく人が良い。きれいなところがある人だ。

10年来我が家の手伝いをしてきてくれたが、ここにきて体調を崩した。聞いてみると、胸がドキドキして苦しくなったり、のぼせたり、汗をかいたり。さらに、疲れやすく、無気力という。病院で一通り調べたが何も大きな問題は無し。これはいわゆる更年期障害というものじゃないかしら、と彼女に伝えた。とにかく元気になるまでゆっくり休んでもらうことにした。

途中5月の連休を挟んだが、嫁に行ったばかりの娘さんがタイ旅行を誘ってくれたと言う。「体力が無いから無理だ」と言うワンさんに断然行くべきと勧めた。

結局ワンさんは娘さんに連れられて初めての海外旅行に出かけ、とても疲れたらしいが、「本当にきれいだった」と言って戻ってきた。

ワンさんはこのところ調子が良くなっているようで、何度か我が家に電話してくれたので、子供を連れてワンさんの家に押し掛けた。ワンさんと会うのは3カ月ぶりだ。ほとんどワンさんの孫のように育った我が子も最初は何だか照れて、不自然にだらだらとしている。

ワンさんは、きれいに一口サイズに切ったスイカ、真っ赤なサクランボ、そしてライチをそれぞれ大きなお皿にたっぷりと盛って太陽の当たらない四合院の小さな一部屋で我々を待っていてくれた。

私は予定より30分も早めに着いたのに、3つのフルーツを見ればわかるように、ワンさんはもう準備万端で待っていた。

普段、地元の人がスイカをどう食べるかを知っている私は、ワンさんの「よそ行き」のおもてなしに彼女の細やかな心遣いを感じた。

ワンさんの四合院はこれまでも何度も行ったことがあったが、今回は何となく違って見えた。良く見れば、院の中の植物は良く育っている。トマト、へちま、キュウリ、トウガラシなどが所狭しと緑の葉っぱを空に向けて伸びている。大きな香椿の木の下に6匹の犬、1羽の鶏と1匹のウサギが悠々と暮らしている。犬たちも、繋がれていず、満ち足りた様子で、ゆったりとしている。

新中国建国前にワンさんの父親が北京に上京してきて北京育ちの母親と知り合って暮らし始めたのがこの四合院だという。当時は商人が住む四合院だったらしい。その後、住宅難の続いた改革前の一時期は50家族が住んでいたこともあるという。今ではひっそりとしている27平方メートルほどの小さなワンさんの家にもかつてはワンさんの兄弟7人と両親の合計9人がひしめいていたという。相当の人口密度だ。

ワンさんのこの四合院はオリンピック前に危うく取り壊されて再開発される計画だった。ワンさんはひょんな理由で政府から提示された数倍広く上下水道・暖房完備の近代的アパートとの交換を断り、ここに残った。

そんなわけでその時、長年の住人達は政府が提供したアパート住宅に移り住んだ。今、ワンさんと一緒に平屋に住んでいるのはほとんどが外省からきた7,8家族という。

ワンさんの四合院は道に面した入口は小さく質素な門一つだが、奥が深い。子供が全速力でダッシュして掛けっこができるほどの長さだ。全部で5層の家が両脇にある。一番奥には庭を囲んだ院があるが、その奥両側にも小さな院があるというが、私はまだ入ったことが無いほど迷路のように奥まっている。

普段はどうしているかと聞くと、ワンさんは天壇公園に行き、音楽に合わせて踊る中高年の叔母さん連中と踊ったり、近所の人とカラオケに行ったり、クロスステッチをしたりしていると話していた。

一日中トイレ一つに行くにも屋外に出なくてはならないが、その折に誰かに会い、立ち話をする。外にでて野菜の皮をむいたり筋を取ったり下準備をする人、院に植えた野菜の手入れをする人、犬の面倒を見る人、何もないから外で座っている人らがとにかく顔を突き合わせて暮らしている。

その日も隣の7歳の男の子のシャオベイが慣れた様子でワンさんの部屋に入ってきて、我が家の子供と遊びだした。ワンさんはその子に「お昼は食べた?」と聞き、「まだ」、と彼が答えると、「じゃあ、ここで食べて行きな。」と勧める。シャオベイはワンさんのジャージャン麺より、お菓子のゼリーに注目。うちの子供とワンさんの居間にあるベッド兼ソファーの上に登って足を投げ出して座り、二人で満足そうにワンさんがくれたゼリーをほうばった。

そのうち子供二人は院の中を走ったり、誰かに話しかけられたりしてキャッキャと遊びだした。

この四合院から香椿の枝の向こうに広がる空を見上げ、ぶら下がる細く柔らかそうなキュウリを覗き、おとなしいシベリアンハスキーや黒豆と名付けられたミニプードルを見ているとなぜ、更年期障害で調子を悪くしていたワンさんが元気になったかわかったような気がしてきた。

一方、今や中国でもあらゆる携帯電話のツールで遊べるようになり、見知らぬ人につぶやく「メッセージボトル」機能も登場。覗いて見ると、中国全土から「ストレスが溜まる〜どう発散したらいいの?」とか「さびしい〜」「つまらない〜」というメッセージが海のメッセージボトルに入れられて「漂流」してくる。

ワンさんの四合院の人間関係とは全く違う世界が中国でも20代の若い人の間では広がりつつある。我が物顔で近所の家を駆け回るシャオベイ君やワンさんには全く必要のないコミュニケーションツールだなあとこのふたつの世界のギャップから自分がどこにいるかもわからないような錯覚に陥った。

これ、本日の北京なり。