108人の本とメディア

明日、「在中日本人108人のそれでも私たちが中国に住む理由」の読書会が開かれる。

さて、この本の評価や如何に。

一番印象的な感想は
「(日本人の)中国に対する認識が日本国内とは全然違うのでびっくりした」
「こういう人達の生きざまを見てかっこいいと思った」

だった。これは両方とも実にありがたい言葉だ。

そもそも出版に至った初心は、現行のメディアが伝える中国情報があまりに偏っていることへの違和感だった。

主流メディアがこうなった背景にはいろんな理由があるが、いくつかをあげれば
●中国は刺激的(にゲロゲロ)な「ネタ」の宝庫
だが、そのうちのどれを取り上げるかは記者のセンス次第
●一方で、中国のパワー、懐の広さ、情という世界を知り、的確に日本に伝えるには時間がかかる。(言語、人脈、土地勘が不可欠)
そのため、毎日新しいニュースを追い求めるメディアの現場の人はこの部分を伝えにくい。

結果として、すぐに傲慢な外交とか、毒まんじゅうとか、児童虐待とか、マナーの無さとかそういうネタが多くなり(個々では全て事実)、一般庶民の普通の生活、普段の彼らの現実や世界トップレベルのエリートの姿などが伝わりにくい。

更に外国人が中国を見るのが難しい最大の理由は歴史的感覚・視点がどうしても肌で感じられない事にもある。時間の縦軸が欠如しているのだ。

第2次世界大戦、60年代初めの飢餓、狂気の文革と非常に不幸で貧しい歴史を経ていることがイメージできない。70年代後半に改革開放に舵を切った時の混乱ぶり、貧困ぶりが分らない。そのため当然今の事も「なんでこんなことが?」と分らない。

更に強大化する中国に対するコンプレックスもある。弟分だった中国には優しくしたい気持ちがあった。しかし、今はそういう気持ちは無く、「抜かれるかも」と、おののいている。そんな心配があるからこそ、「やっぱりやつらはダメだ」、という情報を求めてはいないだろうか。(そして、求めればそういう情報は中国ではいくらでも見つかるのだ。)

中国を立体的に、しかも時間軸のセンスをもって伝えるのは実に大変。その一方ですぐに伝えられて、視聴者・読者からの反応も期待できるお下劣な現状は豊富にある。この結果後者が幅を利かせている、というのが現状ではないか。

メディアの現場の人がある事実を記事にして伝えるか否かについて悩んだ際、「事実だからやっぱり伝えよう」と決断したというくだりがあった。私はこれは違うと思う。事実であることは必要最低限の条件にすぎない。世の中全て事実だ。その中で何を選択して、どの角度から伝えるかは記者の主体的・職業的判断によるのだ。自分の前に偶然現れた事実を伝えるのではプロとは言えない。

分りにくい中国の内部に入り込んだ人たちだから見えてくるもの。より豊富な中国の「事実」の中から選択して中国を伝えようとしたもの。108人の本は、そうした既存メディアの不足を補うものだったのでは、と思っている。

これ、それでも中国から伝える理由である。