一人っ子政策緩和で考える事

先週の3中全会のポイントは何だ?と知り合いもテレビに出たりしてみな、それらしく言っているが、正直専門家たちも「よくわからん」というのが共通した認識だ。そうはテレビや新聞では言えないので、経済一本、政治置き去りとか、力による安定維持の元での庶民路線とか言っている。

さて、ポイントが今一はっきりしない会議だったが、一つはっきりしたのが一人っ子政策が緩和され、夫婦のどちらか片方だけでも一人っ子の場合は二人目が産めるということになった。

これで、北京市などは最初の5年は子供が増えるが、その後は再びヘリ、大きな混乱はない、と見ているらしい。

都市部での周りの様子を見ていると、2人目を産みたい人ははもう生んでいる。農村からの出稼ぎの人もそうだし、都市のエリートもそうだ。だから実態ではかなりなし崩しにされていると居のが私の印象だ。5,6年前にチェックした幼稚園(北京では平均的な幼稚園)のクラスの約3分の1は兄弟がいたほどだ。

一方、私の同僚は中国の農村では相変わらず前近代的で非人道的な一人っ子政策の強制が行われていて、そういう状況はこの政策では緩和されない、ごまかされてはいかん、と警笛を鳴らしている。

なるほど。確かに。中国は金太郎飴の対極でどこで切るかで見える図は全く違うのだが、農村部の計画生育のひどさはまだある、この問題をもう一度問題にすべき、ということだろう。

今回はコレがよろしくないから緩和されたのではなく、人口構成がこれ以上高齢化するとバランスが取れない、と言う計算に基づいて緩和されたのだ。

農村部での今日の一人っ子政策を理由にした人権侵害がどの程度ひどいのか、それを調べないと分らないし、あるとすれば、それは断固糾弾されるべきだ。それにしても、緩和したこと自体は決して間違っていないのでは?とも考えてしまう。

これ、本日、農村の見えない北京で思うことなり