政府機関で求められる「創造性」

昨日は10年来の文化・映画お宅でありながら堅実に(しかし苦しみながら)政府機関でばっちり働いている友人とランチをした。

彼曰く、中国政府系のメディアとしてやっていくには表をプロパガンダで自分のやりたいことを上手に包む、ダリ級の創造性が求められるという。

政府のお上に対し、なぜこの記事か、なぜこの写真かと聞かれたら、政府の政策に合っているという角度から説明して正当性を示さなければならない。

まあ、これは日本のお役所でも同じだが、中国では政府のテイストが飛びぬけて遅れているので、本当にやりたい・出したいラインとのギャップが日本よりでかくなる。

そして真正面から政府案を否定できない、という自由の無さもそれをさらに複雑なものにする。

政府は中国ばら色とか中国の夢とかいう記事や写真を出したがる。そんなのを喜んで読む読者はいないのは明らかだ。そこで、彼のような人間は創造性を発揮して、自分の取材したい内容や写真は、いかに、中国の夢を表現しているか、というまったく架空の説得のためだけのストーリーをつくらなければならいという。

それを聞いてふと思い出した。解放軍芸術学院の出し物もトップとフィナーレだけ主旋律で、他はきわめて芸術的だった。でも、題名にはなんとなく軍に関連しているようなものがつけられている。これも、彼のような理想とプロパガンダの狭間に立たされた人の創意工夫の賜物だったのかも知れ無い。

理想と現実の狭間で工夫が求められるのはまあ、中国に限らないが、この国の政府機関ではかなり高い創造性が求められるということは間違いなさそうだ。

これ、本日の北京なり。