政治に目覚めて歌わなくなったおじいさん

本日、80になるおじいさんから話を聞いた。

新中国成立後すぐの頃は中学生。毎週末キリスト教系だった地元の中学では集いがあり、楽しく歌ったり踊ったりしたと。

私の知るこの老人は今ではすっかり厳かな文化人風で、彼がかつては舞台に登り一人で歌を披露したとは全く想像し難くとても驚いた。

どうして、こんなに変わってしまったの?と聞くと、かれは高校になるまで1年学校を休み、1年小学校教員をしたので、ほかの学生より自分は2歳年上だった。声変わりをして青年に近づいた途端、政治に目覚め、ロシアの革命書などを読んだという。

良き共産党員になるには、自分の趣味などは捨てて政治に身を投じるべきと考えた。それだけじゃないが、ある頃から急に踊ったり歌ったり騒ぐのがバカバカしく思えてきたと。それから、二度と人前で歌ったりはしなくなったのだ。私が知るかれはそれからの彼だ。

彼の家は本当に貧しく、小学校の代用教員になるまで、靴を履いたこともなかったという。70里先の小学校まで裸足で歩いていき、近くまで行ってから足を洗って借りてきた靴を初めて履いたという。先生なるもの、裸足はまずいと言われたためだ。

家には自分だけで使える布団さえなかったとか。
とにかく、貧しくて一年中芋を食べていて、白米など滅多に口にすることはなかったとか。結婚して63年に妻と春節を過ごしたときはミーフェンが食べられてとても贅沢な春節だったという。

自分の父親が62年に実質上食べるものがなく老衰死したときも、一度たりとも共産党を疑ったことはなかったとか。

あれ、ちょっとへんじゃないか?と感じたのは文革も後半になってからのこと。毛の片腕としてやってきたチェンダを毛が批判したときだ。

その点、インドネシア帰りのWおばあさんはもっとクールだった。Wさんのお母さんは共産党に関しても批判的なことも言った。ほかの世界を知っている上、自分の小さな商売も取り上げられて公社化されたものとしてもっとクールに見ていたという。

其の辺が両氏は違う。

そのおじいさんが言う言葉が重い。文革の時の毛を批判する人はいるが、全てがかれの責任というのは間違いだ。その当時僕もきづかなかったし、みんなが支持したからこそ毛があったのだから、と。

政治に目覚め、良き共産党員となろうと歌うことをやめたおじいさん。思想の力の強さとその影について考えさせられた。