スクラム渋滞で考える

春を味わおうと今年お初の後海のボート乗りに出かけた。
池の周りの柳は新緑を吹き、青い空、白い雲、涼しげな風、これは来てよかったとボートでポンポンポンと移動。

銀ding橋をくぐり向こう側に行くのは、一苦労だ。やっと1艘が通る程度の高さと幅しかないのだから。この橋桁は、船を子供が操縦すると通れないほど狭い空間だ。

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行きはゆっくりパパが漕ぎ、通り抜けたが、帰りはそこで大渋滞が起きていた。どう考えても橋の下は1艘のみ、その手前も最大2、3艘しか入らない空間に、とにかくどんどん船が入り込む。

向こうからくる船が抜けられるように彼らが通れるように道を作って開けていると、私たちの後ろから来たボートがその隙間に入り込んでくる。どんどんみんなが前につめるから、とても前からくる船は抜けていけない。こちらから行く船も方向が変えられてなくて詰まっている。

この様子をみた息子はこれはアメフトだ、こっちからボーン、あっちからボーンとアタックだあ、と二つの拳骨をぶつけ合って喜んでいる。まさに、アメフトの敵対するチームの押し合いへし合いさながらだ。

どうしてこんなふうになってしまうのか?と考えるが、これぞ国民性というものだろうか?中にはゴリ押しで前に進み出て瞬間的にスルリと自分だけ抜けていく人もいる。中国のような生存競争が厳しい国では、自分もスルリと抜けさえすればいいのだ、としか考えないのだろう。

あの橋の下でスクラムが起きなくなったら、中国の文明が一歩進むということだろう。そんな日はいつくるのだろうか?麗らかな春の湖畔でこんなことを考えた。

これ、本日の後海のボートの上の風景なり。