肌にピンで英雄に!狂気の毛沢東バッチ

骨董市などに行くとジャラジャラと毛沢東バッジを売っている。微妙にデザインが違うものがいっぱいある。

今日はもういらないという老人からバッジを箱いっぱいもらってきた。この近所にはよく骨董商がこういうガラクタを買い付けに来るらしい。

コンピューターよりちょっと大きめの綺麗な木製箱の中に平たいスポンジに付けて3層位ビッちりバッジが入っていた。

元々バッジをし始めたのは文革直前の頃で小さな毛の像の下に「為人民服務」という長い小さいのを付けていた。これが文革中にだんだん大きく、派手になってきたという。

当時のバッジの用途は単位同士の贈答用だったと聞いて成るほどと思った。自分でつけるなら、一つあれば十分なのに、何でこんなにあるのか?と聞いた答えがこれだった。

毛以外のものをやりとりすれば怒られる。毛のバッジならOKということだろう。そして文革の真っ最中でさえ、中国のギフト文化は風前のともしびながらあり続けたのだ。

宗教と同じだ、という80過ぎのおじいさん。「当時は服の上でなく上半身裸になって、自分の肌に直接バッジをつけた軍人もいたんだ」と冷たく笑う。英雄として報道されたので、彼も知っているらしい。

バッジを自分の胸肉に付けてしまうというアイディアはあまりに奇想天外なので、最初は言っている意味が分らなかく、何度も聞き直してしまった。何とも痛そうだ。

今となっては単なる金属のバッジ。その頃は服では忠誠を示せないので自分の体に刺して付けたというなま生しい話も今ではジョークとして聞くしかない。

パチン、カチンとなるバッジの音は安っぽく悲しげだった。
これ、本日の北京なり。