中国式内装工事

10年以上住んだ家をリフォームしている。

中国式内装工事はこんな感じだ。先ず、客である私もひどい。家の中のものを一つ残らずきれいに荷造りすべきなのに、日本帰国と重なり、また我が家の相棒も「大丈夫、大丈夫、どうにかなる」といって全然動かないので、絶対壊されたくないものだけをしまい、他は出しっぱなしのままあとは相棒に任せて飛行機に乗ってしまった。

日本滞在から戻り、恐る恐る工事中の家を見に行った。
相棒の発言はある意味で正しく、内装職人さんらがどうやら残っていた家の物品を片付けてくれた。家具はどこかの地下室に移動させたという。ソファーなどが無くなっている。

出発の朝まで使っていたタオルケットが見当たらないなあと思っていたら、まるで爆撃された廃墟のなかに佇む我が家のピアノにそれが巻き付けられているのを発見した。びっくりしたが、ん〜まあいいじゃないかと一人自分に言った。リビングの椅子もどうやら作業用椅子として利用されているらしく、廃墟の埃をかぶってひどく汚れている。

もともと、中国ではこの十数年はマイホーム不動産ブームだが、こちらではコンクリート打ちつけのものを買い、内装は全て自分でやるのが一般的。新築のマンションに入居したばかりの頃は、一歩遅れて工事をしている上の階の騒音がものすごかったが仕方ない。我慢するしかない。

今回はその反対で、我が家の内装でご近所には多大な迷惑をかけているが我慢してもらっている。この原理は中国社会の縮図でもある。自分も我慢するが、逆に周りにあんまり気を使わなくて良いというもの。普段からどこかの家からピアノの練習する音が良く聞こえてくるが、同じく、我が家も子供が騒いでも許容してもらっている。そもそも、1階の道に面した店舗も大音響で音楽を流したり、車の防犯用ベルが誤報でなったりと周りはいつもうるさいので、更にもう一つ雑音が増えてもそれほど気にならない。

中国とは全てがこんな感じだ。節目というかものごとの境がいつも極めてあいまいだが、なんとなくそれでどうにかなる。どこかそういうものを許容する柔軟性がある。

日本のように全てがきっちりと決まっていて、人々が隅々までそのルールに従う社会からくると、中国の「ルールに従ない」部分が目につく。例えば、勝手に巻き付けられたタオルケットや埃まみれになった椅子、昼間にガンガン修理をする近所などだ。

でも、ここに住んでみて分るのは、そういう「トンデモ無い」部分と同時にひどくゆるくて何でも抱擁する楽な部分だ。あんな中途半端な荷造りにも対応してくれ、近所の人への気兼ねもいらない。日本では常に周りに気遣いして謝ってばかりいなくてはならないが、中国ではそれは不要だ。

勿論、そんな中国だから8月末に納期までにできますか?と聞いて返ってくる答えは「問題は無いはずだ」。こちらも大らかになるしかないが、大らかになればそう悪い部分ばかりでもない、これが中国だ。