男女の非対称性と浮気

「結婚に浮気はつきもので、夫に浮気されたからと言って離婚する方が幸せなのか、それはわからない。(→訳:つまり、妻も離婚などと騒がぬ方が彼女のためでもある)
夫も家族を路頭に迷わすようなことをさせるつもりは全くないのだから、」と。

という話。日本の男の人はこういう話をすると、そうだそうだと首を縦に振る。これはある意味で日本では全くの「普通」なジョーシキだろう。

ところが、じゃあ、この夫と妻を入れ替えたらどうなるか?
「妻に浮気をされたからと言って、夫にとって別れるのが幸せとは限らない。妻も夫を一人で老後を送らせるようなことをさせるつもりでやっているわけではない」と。

最初の反応は大抵こうだ。
「妻は浮気なんて絶対しない」と。すごい自信だ。そして女と男は違うのだから仕方ない、というのが大方の落ち。

更に妻の浮気の可能性を受け入れて、議論に進む人もいる。
すると、断然男性はさっきすごい自信をもって言っていた意見を突如変えてこういう。
「そんなの、離婚だね」と。
じゃあ、奥さんが離婚するつもりない、と言ったら?
「それでも離婚だ。」と。

あれ?さっき言っていたのは、浮気された相手のことを考えても離婚すべきではない、じゃなかったっけ?

ここに来ると、日頃女は感情的で理論的でない、と言っている男性が突如非論理的になる。全く言っていることが非対称じゃないか?

僕はいいけど、妻はダメ、というのが彼らの理論だ。

この辺の緊張のなさが日本独特だと私は思う。

結婚というお互いの自由を束縛して、家庭というものにとどまるための契約を結んだ以上、その契約を守るというのがゲームのルールでそのルールは男女同じにあてはめられるべきじゃないの?

勿論、気が変わるのは仕方ない。そうしたら別れて契約解消すればいいじゃないか?さもなければ、事実婚のように最初からお互い契約なんてことをしなければ、それは全然いいだろう。

勿論相手が浮気をしていると知っていても離婚しないという選択はあるだろうけど、それは相手にとっていいことだから当然そうあるもの、みたいのは違う。欧米だったら、大変な裁判沙汰になるだろうし、道義的にもそんな言い訳は誰も受け入れない。

古今東西男が女より多く浮気してきて、今もしているということはあるだろう。でもルールというものを近代作った以上、今のルールを順守してもらわなくちゃ。最初からそれに従う気がないなら事実婚でいいのだし。

これ、本日の北京での男女の会話なり。