君よ憤怒の河を渉れを見た

最近は日本にも負けない勢いの中国の健さんブームで私も君よ憤怒の河を渉れを見た。
たしか、中国に来て数年後、あまり中国の人から聞かれるので、見てみようと思ったけど、みずじまいだった。

日本では76年制作の映画だが、見てみて改めてびっくりした。
まず、日本の活気。出てくる人物たちの元気のいいこと。社会批判も鋭い。愛もまっすぐ。全てがエネルギー満タンの日本だから表現できた、という感じだ。今の日本ではとてもあの映画はできてこない。

新宿西口を馬の群れに跨って走りぬくというシーンはびっくり。よくも新宿でこれだけの馬を走らせたものだ。これで、警察の警備を突破して健さんが逃げられてしまったという運びがいかにもフィクションだが、いいのだ、これはこれで。

健さんが法律しかしらないで、人間を知らずに毎日判決を出していた、と自分を反省する。立川で彼を救ってくれた水商売の女性が「法律なんか守っていたら生きていけないわよ。病気の人を助けただけよ。それを禁じる法律なんてないでしょ」という。法律とか国家権力とかそういうものの矛盾をテーマにしているのも実に社会的じゃないか。

それに中国ではロックンローラー風のあの刑事が本当に国の権力を代表する警察なのだろうか?頭の中で混乱した、とあったが、まさに自分のポリシーとスタイルを持ったトッポイ、キャラが社会のど真ん中にあった、ということだ。それに比べれば今は本当に皆角が落ちてしまってつまらない。

そして、「なぜ僕を助けるんだ、なぜだ」「あなたがすきだから」と答えるこのまっすぐな愛もすごい。

中国の人はあの映画を見て、全てが新しくなるんだ〜という漠然とした将来への希望と共にショックを受け、今あの時の健さんを見て、その時そう思った自分たちを回顧している。

日本人である私も今見れば全く外国のようなこ〜い日本を見て、日本にもこんな時代があったのか、と思う。

映画とはそういうものすべてを含んでいるすごい芸術なんだと改めてそう思う。
これ、本日の北京なり。