映画人材大募集で考える

中国の大手商業劇団で総経理をする友人から相談された。映画を作りたい。役者と脚本は自分の劇団でも揃っているが、監督、カメラ、照明、エディターなどは中国の人材では限界があるので、日本人を探したい。誰かいたら紹介してくれ。というものだった。

それでは、と映画に関係がありそうな中国に長くいる友人たちにその旨を伝えた。
すると、まず寄せられたのは「その方はなぜ日本の人材を探しているの?日中合作とか日本での配給を考えているの?」「中国語ができない日本にいる監督でもOKなのか?」という質問だった。

そこで、問い合わせてみた。彼の答えは「日本人の方がレベルが高いから。アジアでは日本が一番だから。そして日本の人の仕事に対する態度はまじめだから。」というものだった。ふむふむ、やっぱりそうか、それならよい。

そして、中国語ができない日本にいる監督・スタッフでもいいのかという問いに対して彼の答えはYESだった。必要なら日本まで会いに行く、通訳をつければよい。撮影も中国でするとは限らない。来年から年間2本位作る予定だ、という。

何だかずいぶん、スケールが大きいと分かった。

今朝別の友人からメールが届いた。「闇雲に探すのではなく、映画をみて監督の作風などで見極めてから探すか、誰かに推薦してもらって探した方がいいのではないか?」という。読んでいてハタ、と気づいた。そうだよなあ~、ふつう監督やスタッフを探すとなれば、作品を見てそれで探すものである。

基本に帰ってもう一度見上げてみると、ずいぶん良い加減な乱暴な人の探し方、映画のつくり方をしているなあと思えてきた。1年に2本作るという計画も作品というより、商品と割り切っているからだろうか。

何だかすっかり白けてきた。
このいい加減さ、このスケールの大きさ、この乱暴さ、いずれも本日の北京なり。