違う奴は村八分 VS 自分に有利なルールを作って巻き込む?

もう一つの収穫は知己との会話だ。

最近の日本はどんどん内向きになっているのはもうニュースではないが、ある記事に関して日本のサラリーマンをしている良識ある友人が言った言葉に驚かされた。「はっきり言って中国は迷惑国家だと思うよ」と。サンゴに尖閣、防空圏などそういえばそうだ。

でも、中国と本物の迷惑国家の北朝鮮とは世界から見れば全く次元が違う。日本では、もう、中国はわからない、けしからん、もう知りたくない、奴らは無視、という雰囲気がつよまっていないだろうか?どうしてそうなのか?という辛抱強い分析の眼も、じゃあ、日本はその付き合いにくい相手とどうしたらいいのか、どうしたいのか、という主体的・せんりゃう的な視点も見えない。

日本は中国(と韓国)を無視して、村八分にしておけば、いい、とおもっているのかもしれない。でも、本当にそうだろうか?

一方で中国はルール作りに参入して世界を巻き込もうとする。村八分にするという発想とは対照的だ。

例えばこんな話。昨日の友人は中国人と編集の仕事をしてハタと気づいた。ページ配分を横書きに絵にして構成していくのは、日本の出版界では常識。そうすることで全体の流れを掴み、よりスムースに前から後ろに読み進めるように組むものだ。

ところが中国の編集者はそれを見て「違う!」といって、縦にインタビュー8ページ、XX10ページ、と足し算をし始め、だから全体で120ページとあっという間に概算を出したという。

その時彼女は、自分のやり方じゃないと絶対いけないわけではない、とハタと気づいたという。確かに本は前から読むとは限らない。読みたいところから読めばいいのだし、足し算して前後関係をそれほど練らずに入れても、別の味が出ると。

あと、いろいろ先方とやり取りするときに、日本とは仕事の進め方が違うが、彼らは自分のルールを作って相手を巻き込んでいくのにすぐれているが、日本人である彼女はそういうことが全くできないという。日本人はそういうことは訓練されていない。規則に従うことはぴか一だが、規則を作れ、と言われたら日本人は大抵びっくりしてしまう。ひな形は?とかきいちゃったりして?!

中国は違う相手を如何に自分に有利なルールを作って、その人を巻き込むかと考えるが、日本は変な人がいたら、無視する、村八分にしようと考える。

怖いのは日本は中国を村八分にしたつもりかもしれないが、今日の世界を見てみよ。プーチンだって、オバマだって熱いまなざしを送っているのは中国であり、日本ではない、そういう新しい世界秩序ができているという大きな絵が全く見えていないからだ。気が付いたらはぶんちょにされているのは自分だった?となる前に、眼を開かないと〜。

これ本日の北京の会話なり