中国の教育神話の崩壊

TIMEマガジンの3月末号の特集は中国からの米国大学入学についてだった。何でも去年年末のSATの中国韓国学生によるカンニング疑惑で結果発表がかなり遅れたという事件があったらしい。これは今年1月のTOEFLでも同じように起きているとか。

今や中国の小金持ちは群れを成して米国の大学に子供を送っている。米国大学の外国人学生の31%が中国人という。すごい数だ。

大体習近平の娘だってHARVERDだ、政策であれこれ言っても、結局子供は欧米に送り出している。これが中国のお偉いさんたちの「常識」だ。

それにしても、最近思うのは中国の教育が間違っているのは、徹底した選別のための教育だからだ。一部のエリートを輩出できれば、それでいい、のこりの7割がどうなろうと関係ない。落ちこぼれなんてもってのほか、先生はさっさと退学してくれたらいいと思っていて、はっきり「学校に来るな」とも言うしまつだ。

勿論、物事は複雑なので、良いは悪い、悪いは良いという面もあり、この仁義なき競争原理こそ、中国の発展のエンジンでもある。共通大学入試は誰にでも平等に開かれた門で、これほど分かり易く公平な競争もない。

でも、中国で「中庸」が重要として貴ばれるように、この国の問題は極端になりやすいところだ。自由競争なら全てで満点とればいいのだろう、とばかり、超極端にそれに向かって社会が邁進してしまうから、問題が大きくなる。点数を取るための教育となっていて、まるで、学校は予備校だ。テスト演習ばかりさせている。その他の創造性とか、自主性とかは見せるだけの表向きの形を整えるだけで、先生もどうやったらそれができるかもわからないし、別にそれで評価されるわけではないので(結局評価は点数に収斂されるから)やる気もない。

という現状に国民はみんな不満だ。で、不満な人は最近海外に子供を行かせる。となると、どうせ中国国内でエリート、教育の勝者を目指すわけではないとなると、突然、この国の教育で目指すものが無くなってしまう。勝者を選びただすために作られたシステムだからだ。

となると、今日にしらけてきて、大体なんで学校に行くのか?何を勉強するのか?ということになってくる。下らん人民日報をお手本とするような作文を書く必要はない。物理だって化学だってできた方がいいができなくてもどうにかなる。計算ができ、文字が読み書きでき、英語が喋れて、最低限の社会科の知識があればそれでいいのでは?となる。

中国の高校では国際コースと言って欧米大学受験コースがあり、学費も高いらしい。授業は半日で終わり、最後の1年はほとんど学校に行かないとか。進学校にめでたく合格して2年ちょっと通わせたばかりの中3の娘のママ曰く、娘さんはカナダ留学が決まっているから先生が、他の高校受験生に影響が出るから、学校に来ないでくれと言ってきたという。

おかしいよね〜と話すと、別の高校生のママはそんな感じよ。うちの子供も中3の時テニスとサッカーをやっていたら学校から他の学生に影響が出るからやめるようにと呼び出しを食らってけんかになったという。つまり、中3、高3は丸々模試の時間。中高1,2はその予備に過ぎない。

だから欧米に行ってもっとまともな『何か』を得たい、と思う親子が増えるのは当たり前だ。でも、これって国の価値が根源から崩壊しているってことではないだろうか?自国の教育の価値が全くない、となると。日本だって欧米だってそれぞれに問題はあるけど、ここまでは行かない。中国のクライシスは案外こんなところからも感じ取れる。

これ、本日の北京なり。