中国式出張 全ては行ってからの「お楽しみ」?!

今回出張するのは、こちらとしては以前からやろうと話していた四川ソーセージの公益プロジェクトに関する視察のつもりだった。

ソーセージを作っている地元の農家や可能性のある加工企業、そしてネットにアクセスできる村の組織や政府関係者などを視察しよう、と。

以前北京に四川のDさんが出張してきて話したとき、彼は実は田舎にはいろんな優れた農作物があるが、どうか?と聞くから、いや、まずはやり易いし、我々も情熱が湧くソーセージから始めよう、ときっぱりと伝えておき、その時は彼も、そうか、と言っていた。

ところが、ところがである。

いざ、行ってみると、ソーセージは今季節ではないこともあり(本場ではソーセージは春節前に作る冬のもてなし料理なのだ)旅の10分の1くらいしか時間は取っていなかった。

連れていかれたのはソーセージの里ではなくて、自分たちが貧困対策任務を与えられたカップリングされた県だった。

話が違うじゃん、と3日目頃に気づいたものの、北京から行った同行は「it is OK」と涼しい顔。怒っている様子も驚いている様子もない。

この両者を見てああ、中国のスケールというのはこういうものかと呆れると同時に感動してしまった。

帰って来てみれば、やはり行く前にこちらもしつこいほどやりたいことを相手に伝えておく必要があったと反省した。意思表示、要求ははっきりすることは必須だ。遠慮はいらない。

そしてもう行ってしまってから「違う」と発覚した場合、同行の取った「it is OK」というゆる〜い態度はある程度合理性があった、ということだ。あとの祭りだからせめて「来てもらってよかった」と思てもらって帰る程度の目標は達成すべきということだ。

人生知らないもはまだまだ山ほどある。本日は一体また何が待っているのだろうか?
これ、本日の北京なり。