「任さんはブログを閉じられただけ」

しばらくサボっていたが、やはり、継続は力なり。毎日記録しておこう。

昨日のカーシェアリングのドライバー(と呼ばないでと本人は言っていたが)は去年新婚したばかりの経済・管理学博士(科技大学卒)、財政部研究員の「低調男」。電話口のしゃべり方が甘ったるい横口風だったので、大丈夫かいな?と思ったけど行ってみたら、ぬいぐるみいっぱいのトヨタのハイブリッドを乗り回す余裕のある市民風のお兄さんだった。

経済関連政策の研究が仕事。どう?と聞いたところ、週末に会議が多い。レポートは政府に出すのは詰まらない。皆が読むのは最初の2P位、あとは量を示すためにそこに置いてある、って感じ、という。

最近の言論弾圧で話題になっている不動産王の任が拘束されたでしょ、と言うと、拘束されてないよ、彼は大丈夫、ブログが閉じられただけ、という。彼のボスは任さんとも知り合いとか。有名人のブログ閉鎖に対してもずいぶん慣れっこな反応だ。

新婚旅行は日本で、北海道と京都を回ったらしい。彼は片言の日本語ができ、大人しいので韓国人かと聞かれたという。車もみんな譲ってくれる。でもびっくりしたのは、電車の中で高校生の女の子がごみをポイ捨てしていた、学生たちはけっこうギャーギャーとうるさかったということ。年の入った人はイメージ通りの礼儀正しい日本人だったがと。確かに品の悪い若い子は増えているからなあ。
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もう一つは早稲田の天児先生の中国本。費孝通の公と私の関係、圏子に関する見方の紹介が面白かった。中国人の人間関係は自分を中心に同心円状の波(圏子)を形成する。浪は内側から外に広がっていくが、外に向かうほど人間関係は疎遠になる。重要なのはこの内と外の関係において、中国人は異なった行動をとる。内は公で仲間に配慮するが、外は私に走る。

これって、西欧のプライベートとパブリックの考え方と全く逆だ。いわゆる西欧的なパブリックが無い、ってのが中国の没有底線(道徳倫理の際限がない)という決定的な問題となっている。

天児先生は、これを紹介しながら、習近平の派閥も単純な派閥ではなく、こうした圏子と重なりあり、また、個人の経験などにより作られた分散したものという。(この指摘に関してはまっとうだが、面白みに欠ける。概念でギュッとつかむから面白いのであって、その概念はいずれも半分くらいしか当たっていないという指摘だけではつまらない。)

でも、圏子という概念は欧米でもあるんじゃないかな。ハイソとか、ある学校の卒業生とか、クラブメンバーとか。別段中国だけのものとも思えない。

今日は本の後半を読む。外は大風、青い空。温度は0度だ。
これ、本日の北京なり。