教育問題は家庭問題&60年代生まれ

金曜に私の知己に久しぶりに会った。彼女と知り合ったのはお互い大学生時代だから、もうかれこれ25年位経つか。

彼女の大学時代の同級生も紹介してくれて一緒にご飯を食べた。彼は中国外務省でかつて香港返還時の通訳まで務めたという英語のエクスパート。プロだ。

その後、彼は外務省を辞めて弁護士として仕事をしているという。そのトップにまで上り詰めたのに、あっさりと辞めてしまうというところが中国の時代の変化を感じさせる。

我々に共通しているのは小学校低学年の子供がいること。この元大臣通訳だった彼も中国の大多数の親と同じく子供の教育について心を痛めている。

とにかく、奥さんがタイガーマザーで子供が家に帰ってから付きっ切りで勉強をさせているという。ひどく子供を怒っているところを見たりすると本当に自分まで怒りの激情が走るという。つまり、子供の教育方針の違いで夫婦関係、家庭問題にまで発展しているというのだ。

自分自身の教育を振り返っても、学校でいい点を取ったからなんだというのか、と彼は言う。学校で高く評価されるのは、先生が何を求めているかを読み取って、それを誰よりも早く実現することだけ。職場に入ってもボスの顔色ばかり読んでそれを実行する能力はつくが、今の時代に求められている自分で何かを考えて切り開く創造性とは全く正反対だという。自分が高学歴な彼の様なおや程、そういう思いは強いのかもしれない。彼の奥さんは田舎出身の学歴はあまりない人らしく、それゆえに絶対に娘には頑張らせたいと力んでしまうところがあるのかもしれない。

子供に基礎的学力は付けてほしいし、努力することを学び、そこから自分で何かを成し遂げる充実感を体験し大いなる自信を身に着けてほしい。そのことは、テストで1番になることとは全く別の質だ。

私の知己も英語と日本語を上手に操るとても優秀な中国人。彼女の友人も然り。ただ、彼らは60年代前半生まれで、60年代後半の大学卒業と共に90年代の高度成長期を体験したグループとはまた、ちょっと違う。

母が日本の敗戦時に何歳だったかはたった3,4歳の違いでも大きな違いだと言っていたのと多分同じだろう。時代が激変するときに何歳でそれを迎えたかで彼らの色も違う。60年代後半が経済成長ブームに一番乗りした世代なら、その前はギリギリの世代。その前の文革やらちょっとぶきっちょなプライドやらを背負っていて重いところがあるように見える。

そして、皮肉にもそんなちょっと年上の親たちも今の親と共通しているのは、子供の教育の悩みだ。『変態』と彼らが呼ぶ中国の教育、どうなるのだろうか?

これ、春うららかな金曜日の北京の会話なり。