アナクロな「社会管理」はうまくいかない―- 高原先生講演会より

東京財団で東大の中国政治専門の高原先生が小原凡司氏と話している。さすが、高原先生は国際的なバランス感覚がありスマートだ。1時間40分と長いがお時間がある方どうぞ。
http://www.tkfd.or.jp/society/forum/e20001

一番印象に残ったのは、習近平のやり方が、共産党の伝統的アプローチで古く、大きく変化してモダンになっている中国社会と合わない。よってこれはうまくいかない、と指摘している点だ。

「統一戦線、メディアの絶対服従をもとめた習を批判したブロガー(不動産王の任さんのこと)を突然逮捕する、メディアに党の威厳を高める報道をせよと言う運動(=締め付け)をする。これをしないと緩むから、不断にやる必要がある、と言う人が中国には根強くいる。習さんはこれをやっている。毛沢東の不断革命、次々とやって行かなくてはならないという思想があるのではないか。根っこには文革の記憶があるように思う。」

もう一つはこの習の文革に対する認識だ。彼の父親とは違い習にとっては「成功体験」だったのではないか、と言う指摘は秀逸だ、なるほど。

「習さんの文革に対する捉え方は彼の父とはだいぶ違う。父や訒小平など被害を受けた人は相当骨の髄まで苦労し反省し、制度化の必要性を感じた。しかし、彼は随分違う。彼は成功体験としての文革があるのではないか。あれだけの苦労を僕は我慢して乗り越えたという成功体験なのではないか。これは、彼の父親とは違う。制度化を進め、予測可能な社会にしていかないといけないという声が経済が悪くなる中、政府内からもこういう声が聞こえているが、彼が遂行しているのは、運動型の社会管理だ。」

また、習は先ずは中央集権に権限を掌握して、次の段階では改革を推し進めるという(希望的観測の)見方が一部にはあったが、3年経って、改革はそう簡単にはいかないということが分かり始め、潮目が変わりつつあるように思う。具体的な改革への抵抗があちこちで見られる。地方も軍などの部門も面従腹背で手ごわい。どこの国でも改革は一筋縄ではいかない。去年までは強権で一気に権力を掌握という感じだったが、それだけではうまくいかない。古い手法での動員や運動への批判もでている。

個人崇拝的な宣伝法に対しては指導層の間でも疑問視する声はある。これも彼に対する一つの批判の軸になっている。なぜ、習がそれをやるのか、というと、彼は中央でのキャリアがほとんどない。全部地方。(中央にある程度いた経験をもつ)江沢民、胡錦濤とも違う。軍人は南京軍区と仲良くやっていたが、信頼できる人材は多くはない。すると、ポピュリスト的に人民の支持をえようとする傾向が強い。その文脈で貧困扶助も力を入れている。

●中国はアメリカのようになりたい。軍事、経済実力も持ち、ソフトパワーをもち、愛される。じゃあ、どうするか?徳、儒教の存在。習は儒教が大好き。儒教のような封建主義の残滓をトンデモナイ、という批判も出ている。
●胡錦濤時代にでた論争、普遍的価値なる概念を認めるか。中国では訒小平から胡錦濤まで人権は普遍的価値で、社会主義の中でも認めてきた。ところが、近年、内部で論争が始まり、普遍的価値なんてない、あれは西欧的価値だ、あれを受け入れたら大変だ。西欧が自分の価値を押し付けるために普遍的価値と言っているにすぎない、という論がでていた。習もそれを受け入れている。「市民社会なんていう言葉は使うべきでない。これは西欧人の罠だ。」と言う論さえでている。西欧的なものをどれほどいれるか、と言うアイデンティティーの問題に現在中国は直面している。アイデンティティークライシスに陥っていて、それが論争に反映されている。根深い問題がある。真相、深層をえぐらないといけない。

●王毅が日本の悪口を言った、表面では仲良くしようと言い、実は裏切っている、と。日本も中国と仲良くしたい、日本も中国と喧嘩をしたってなにも良いことはない。だけど、原則は守らなくてはならない。東アジアで何でも力で解決するのは良くない。

●李克強と習との関係:来年後継者が発表されるかどうか。権力闘争があって当たり前。噂は出ている。

●昨今の日本では、中国のことを悪くいうと売れるという風潮があり、気を付けないといけない。中国情報は氾濫している。極端な議論がいうほど中国経済は悪くない。中国の人もそれほど良くないということはわかっている。僕は財政指標に注目している。中央財政は潤沢にあるので、近々混乱に陥るという可能性はないと思う。

こういう、理性的で明快で、下品でない。国際的にどこに入って発言しても恥ずかしくない視点をもった専門家がもっとどんどん発言して影響力を持ってくれれば良いと思う。