ここはDCか荻窪か?

この夏、子供2人を連れて実家の家の近くの民泊に泊った。実家の両親は気持ちでは大歓迎だが、自分たちの毎日を無事過ごすのが精一杯だ。そんな事情で、近年は子供と帰国しても実家以外に宿泊している。

民泊はこれまでにも利用してきた。一軒家やアパートの一室を丸々貸切るもので、以前に借りたウイークリーアパートと全く同じ感覚だった。違う点は、値段など各種条件が格段に良いという違いくらいだ。

今回もまた、そのつもりで予約をいれた家に泊った。実家の家に近いところはあまり選択肢が無く、夏はけっこう人気らしく予約が取れない。予約できたことに感謝して、詳細をよく見なかったらしい。到着してみると、昔風のゆったりとした一軒家のリビングに家主の若い女性が二人テレビを見てくつろいでいる。あれ?ここは貸し切りではなかったか?と頭を過った。彼女たちの様子を見ると退場しそうもない。

後から、10畳の寝室の間借りで、他はキッチン、リビング、トイレ、バス、全て共同だったと発覚した。他に泊りに行くあてもない。ここで頑張るしかない。キッチンの調味料や冷蔵庫の中、洗濯機などを指さして「適当に何でも使ってくださあ〜い」と家主の若い女性。かなりオープンだ。銀行通帳などどこにしまったら良いのかと、一瞬頭が真っ暗になった。

しかし、共同生活する仲間と話すようになり、胸をなで下ろした。彼女たちは世界の旅で知り合ったという20代の若い男女の仲良しの5人だった。「民泊でトラブルとかはないの?」と聞いたところ、家の住人の一人の男性は「全然、無いっすよ。皆ホントいい人たちばっかりで。」という。なるほど、この家は性善説で動いているということがよくわかった。

もう一つ8畳の部屋があり、そちらも外に貸していて、私たちが滞在中にオランダ人、インドネシア人、ドイツ人などが次々に泊って行った。最初はナンでここに泊るの?と言っていた息子も数日すると、若い住人たちと一緒にテレビに見入り、「この家はいろんな人がいて面白いね」と言ってきた。

90年代にワシントンDCに留学した時、古い立派な家を5,6人でシェアして住むグループハウスに私も間借りして住んだ。ああ、外国の生活だと噛みしめた記憶がある。この夏は荻窪で期せずして、そんな20年前の留学生活を彷彿とさせられた。

北京に戻った後、息子はその家で洗ったTシャツのにおいをかぎながら、「ああ、あの家の匂いがする、着ないで、取っておこう」という。珍道中のおかげで、子供にとっても残したい匂いが一つ増えたようだ。日本にも新しいライフスタイルが浸透しているようだった。

これ、本日の荻窪なり。