味の安全、安心、おいしいと「進歩」

春節に台湾に行って、庶民の伝統の味(いわゆる贅沢でなく、安くておいしい!B級グルメ)のレベルの高さに驚いた。種類豊富、店が街の至る所にあって数が豊富、値段が申し訳ないほど安い(50〜120TWD位、約150円〜360円相当)、そして言うまでもなく、ちゃんと作っているのでおいしい!!

店の多くが60年、70年の伝統を持つ家族経営。3代、4代目は当たり前。中高生らしき娘さんとかも自然に働いている。古き良き戦後の日本のような感じ。客はローカル客の客層が厚く、一見さんの観光客から儲けてやろう、というような邪な思いは欠片もない。

また、日本の頑張り過ぎな個人店のようなうんちくやこだわりをやたらと押し付けるということもない。ただ、当たり前にずーとちゃんと作っているだけという感じが、よく私の母が言う「普通」な感じ。これは今ではめずらしく、実はとっても高級なことだと思った。

とにかく、街に根付いて蔵付き酵母と友人が言ったけど、そういう食を通じた店の店主と客と黒ずんだ店とが有機的に融合しているものが台湾にはあちこちにあり、素晴らしいと思った。

振り返って北京を見ると、こういう店は全くない。おやじ・おばさんが顏として踏ん張っていい味を出している個人の店、ずーと長くやっていて地元に根付いている店、実に気軽に食べられる値段なので、地元の常連でいつも賑わっている店、簡単に言うと、おやじがやっている、安くてうまくて人気のB級グルメの店が無い!

これはなぜか。
激動の歴史で飲食業自体が継続していなかったことがある。慶豊包子のHPを見たら、元々は1948年に万興居として開業。56年の公私合弁化でこの名前になって、包子と炒肝をだすようになった。その後2005年に集団公司化されて、中国ファーストフードチェーン展開の道を歩み、2015年末までに11省に314店舗を持ち、毎日全国店舗に延べ17万人が来訪する大手に成長したという。

つまり、彼らは伝統の包子の味を継承しよう、なんてことは天から考えていない。頭にあるのは、ファーストフード企業として如何に大規模化して「発展」するかだ。

2008年に500万元を投じて順義県に工場を設立。ここでジャンジャン冷凍包子を作っていると誇らしげに語っている。

「護国寺小乞」は護国寺前にあって、良く行ったが、最近は街のあちこちに出店しているようで、味も前程ではなくなってきた感じが。
あんまんがおいしい店があって、一時期買っていたが、これも直ぐに工場の味に変わってしまった。

ということで、台湾にあるようなおやじの店は北京では誰も見向きもしない、という価値観の問題がある。また、他にも不動産ブームで土地が急騰して店舗から追い出されるのはこの地では日常茶飯事。私がコーヒー豆を買っている李さんのところはこれまでに3回追い出されて(正しく言うと、3年契約後の家賃が3倍などに高騰して!)店を3回変えた。

そしてついに去年には彼は店を友人に譲ったという。なぜなら、最近は保健所などの検査がこれまで以上に厳しく通りにくく、裏口を探ったりしなくてはならなくて面倒。人件費が上がって儲からないから、という二つの理由らしい。

ということで、継続して同じ場所で、地味においしいものを提供するというのは、北京ではとってもやり難いことがありそうだ。

それにしても、日本でものりにノロウイルスが付いていて食中毒が起きたと。給食は時給840円位で人を雇っている給食センターが作っていたと。のりの裁断と袋詰めも東海屋さんではなく、下請け工場がやっていたと。皆下請け、集中生産、などで合理化、コストカットだ。その結果、こんなことになっちゃって。

食って、こんな風に合理化を追究し続けて良いものなのだろうか?これって、本当に我々が求めている将来像なのかな?

台湾の屋台のおいしさとそれがくれた幸せ感に触れたら、急に、北京も東京もちょっと方向が間違っているんじゃないかと思えてきた。

これ、本日の北京で考えた味のことなり。