獲得感、幸福感、安心感

最近よくテレビで聴く「人民の『獲得感』を増やそう」という言葉。獲得感って一体何?

調べてみたら15年ごろから、政府が言い出したバズワードで、その年の流行語にもなっていたらしい。

獲得感は幸福感の基礎、獲得感を得るには安全感(日本語では安心感かな)が必要、この幸福、安心、獲得感は三位一体!みたいなことが書かれている。要は政府の福利厚生などを人民が得たと感じ、それによって幸福感がもたらされることのようだ。簡単に言えば満足感。

そういえば、もう一つ去年の秋口から毎日CCTVで流れる政府系CMに「幸福とは何か?幸福とは奮闘すること。」という広告がある。なんか、こうなると一体どこの宗教団体かという感じだ。

でも、毎日、幸福とは何か、幸福とは汗を流して一歩一歩歩みながら自分が奮闘すること、これこそが幸福なのだ。なんて聞いていると、段々それが変だとも思わなくなってくるから恐ろしい。

それにしても、この国の人が今、一番強く感じているのは安心感の無さだろう。
政府内の人はいつ、汚職で捕まるか分からない(そういうジョークも良くきく)
企業家だって、同じだ。馬雲だって、劉強東だって、生きた心地はしないのではないか?(「永遠に楽観的態度を維持する」と年初に言っているが、それもなぜ、そう彼が言わなくてはならなかったか?)

中流家庭だって、子供が将来ちゃんと一流校に入って、中流生活を維持してくれるかということにものすごく焦っていて、不安を感じている。
余裕がある家はいざとなったらいつでも海外に逃げられるようにしておく、というのが常識になっているわけで、移民あっせんの広告も中流の住むアパートのエレベーターでも見かけるほどどこにもある。

まあ、中国の政府のキャンペーンはさかさまにして読めば良いわけで、今何が一番欠けているか、ということの証でもある。

獲得感とはそれにしても、創造的な言葉だ。
病院一つ普通の北京市民が安心して入れないのに。。。
(今日も知人のお母さんが急性膵臓炎で10日前に北京の航空病院に入院して、毎日抗生物質を点滴しているが、まだ炎症が引かずお腹が張っているという。病院と揉めているらしい)

私も安心感はもとより獲得感とやらを味わってみたい。

これ、本日の北京なり。