尖閣で考える、「怒り」の報道法

ある日本のジャーナリスは、会社からあんまり中国が怒っているとか過激なことを書くなと言われた、という。

尖閣問題で、マスコミの役割は実に大きい。戦争へ向かって威勢の良いことをいって火をつけるのにマスコミほど効果的なことができる集団もないだろう。

中国の軍人が「戦闘せよ」と言ったと日本に大きく伝える。発言自体は本当だが、中国の2チャンネルのような人々の下劣な発言ばかりを日本にえりすぐって伝えるのもどうか。刺激的な言葉を聞くと普通人は刺激されて「反発」したくなる。この「道」はエスカレートするだけの一方通行だ。

実際、最近の尖閣でもお互いを刺激することを言って「もう、一歩も引けない、やれやれ」という悪循環が起きている。

だから、中国国内の過激なことばかり日本に伝えるな、という指摘には私も賛成だ。

一方でこの記者曰く「僕は、日本に中国が怒っているということを伝えたいのです、日本人はそう思っていないでしょ」という。確かにこれはとても重要な点だ。

夏以降中国人は尖閣の件で「怒っている」というのはその通りだ。
中国に80年代からかかわっている超中国通の友人もこれまでにない「日本人への冷たい空気」を肌で感じると言っているし、私も全く同感だ。

そしてその事実は日本に伝わっていない。

反日は中国国内の憂さ晴らし、政治カードと割り切って「ぜ〜んぜん、気にしてないもん」というのが今の日本の空気だろう。でも、「気にしない」と「事実に目をつぶる」は全く別もの。自分の見たいところだけ見て、相手に対する理解が不足して困るのは結局自分ではいないだろうか。

伝えるべきだが、刺激すべきではない。この両者のバランスは案外難しい。
これ、本日の北京なり。