録音に録画も当たり前っすか?中国のタクシー 

いやはや、参った。どんどん個人空間と思われていたとここにかんしの眼が設置されている。

理由は勿論、安全対策。滴滴の客が酔っぱらって運転手の「敏感な所」を触り、その手を払ったら「不満を言われた」という運転手からのクレームなどがあり、それ故、小都市から運転中の録画を開始するという記事を2週間前読んだばかり。土曜日に滴滴でタクシーを探そうと思ったら、同意を求められた。同意しなかったから今はもう、使えない。滴滴の類似サービスの「滴達」の方は今のところ同意を求めていないらしいから、そっちに移るしかないか。

とにかく、私の言うことを聞かないなら、使わせない、という強引なルール。
そう嘆くと、広東から帰った知人は「広東じゃ、もう車内に2つカメラが付いているよ!安全対策だから」と強く言う。

この人たちの感覚って違う!
これで許せるのは幸せなのか何なのか?
これ、おかみのかんしが迫り狂う本日の北京なり。

奴隷と呼ばないで!便利さの背後に潜むブラックさ―出前サービス

この3年、飲食デリバリーサービスが急成長している。北京では美団と餓了ムが2大企業で、自転車に乗っていてもこの制服を着たおじさん・お兄さんがたくさんバイク便を飛ばしている。スタバなどのコーヒー屋でもミルクティー屋の一点々でも彼らがデリバリーするドリンクを買いに来ている。

私は基本的に家なら自分で作るし、外ならレストランでちゃんと食べるのが好きだし、必要を感じていないから使っていないが、好奇心旺盛な娘と面倒くさいこと大嫌いで娘に甘いパパが私が外出の時はせっせと外食デリバリーを取っている。

激辛四川料理やら、ザリガニやら、鍋?料理やら、シンガポール料理やらいろいろ。

私も取材を兼ねて餓了ムを取ってみた。初回はめちゃくちゃ安い。約半額。34分後にお届けとかあり、実際その時間ぴったりに届いた。

家で老舗(眉州東ポ)の山椒の利いたマーボー豆腐を口にした時は、全く新しい人生のシーンが開けたようで、本当に感動した。これも、アリか!という感じ。魔法みたいに、かつてはあり得なかったことだ。

前置きが長くなったが、しかし、これがなぜこんなに安いのか。
それは、配達員のコストが究極まで抑えられているからだ。
何と、彼らのバイクまで持ち出しらしい。携帯電話はもちろん、バイクの充電も、昼ごはんも全て自分持ちだ、と今日来たお兄さんは吐き捨てていた。

保険とかいう以前の問題だ。商売道具も全て労働者が揃えて負担するのだから、企業はお金がかからない。

日本でなぜこれができないかといえば、労働力が高いからだろう。
そうだよなあ。バイクも、電気代も、携帯も、全て出せ、12時間働け、といったら人は集まらない。

都市部ではビルの1階に足を運ぶのも嫌がる怠け者でお金を持った消費者が居る一方、食べ物の好奇心を満たすために3キロ先のレストランから1分、2分を競って運んでくれる配達員がいる。これは格差以外の何物でもないだろう。

美味しいマーボー豆腐のある家ランチにほのぼのとしつつ、そそくさと廊下に消えていった青い制服のお兄さんを思うと胸が痛い。

これ、本日の北京なり。

恐るべし出前君

久しく久しく、書いていなかった。
光陰矢の如しで、今年も残すところ2カ月。この本日の記録も復活せねば。

さて、本日は餓了マ?アプリでお昼を取ってみた。2キロ位先のモールにある四川料理老舗からマーボー豆腐とゴンバオチキンをとった。価格はレストランでの約半分、50分後ぴったりに配達の兄ちゃんは現れ「美女,请您慢用!帮我点赞哟」と彼を高く評価するのをわすれないでね〜と言い置いて忙しそうに消えていった。

それにしても、ピリ辛のマーボー豆腐は大当たり。ヒッジョーにおいしかった。
これが普通価格の半額で37元。安すぎる。

もう一回取るというボタンをおしたら、今度は52元となっていたからジリジリと価格を上げていく戦略なんだろう。

1回目には甘い汁を吸わせておびき寄せ、外食習慣がついたころには定価でしっかり売ると。それにしても、安すぎる。デリバリーの費用が5元かかるのに、店より安いってどゆこと?

たしかに、昔は考えられなかったスピードとクオリティだ。まるで、魔法のよう。
調子に乗って今度はミルクティー、スーパーの買い物も、なんて気分になってきた。
ヤバい、ずっと家にいたら、本当に豚さんになってしまうではないか。

でも、こんな美味しいものがこんなに簡単に手に入るなら、東京の母たちの高齢者ライフもどんなに楽だろうかと考えてしまった。

これ、本日の北京なり。

中国のソフトパワー

ここ数年、中国もソフトパワーを気にし始めているようで、漢字、習字、儒教、中国ファッションなど海外に頑張って発信しようとしているのが分かる。

先日、スワトウ大学で教鞭をとるK氏が彼のクラス(日中文化比較)での学生の発表について教えてくれたが、非常に面白かった。彼の教える中国人生徒たちは自由課題の発表で、居酒屋、ポップスの歌詞、You TuberVS B駅UP主、日中敬語の違いなどなど、いろんな側面から日本の現象を取り上げ、中国と比較している。

それを見ていた中国人が、今、中国の特に若者は日本への関心がすごく高いのに、その反対はない、まるで片思いのようだ、と発言した。

それに対し、S氏は「そもそも、中国にソフトパワーが欠けている」と指摘。言われてみれば、確かにそうだとハッとした。ソニー製品でもいいし、抹茶でもいいし、アニメでも、コスメでも、匠の技でも、浮世絵でもなんでもいい。とにかく日本にはこういうソフトパワーがある。

中国にはおいしい料理はあるけど、そもそも中国の食の安全性が確保されていないので曇ってしまうし、漢詩など素晴らしいものもあるけど、ちょっと大衆には難解。中国ブランドで魅力や愛着を感じるものはシャオミやmobike位だろうか、あと一歩足りない。

それにしても、ソフトパワーは人が良いなあ、と思うもので、そういうフィーリングが動くにはやっぱり民主的で風通しが良いことが大前提になる。百度はすごいといっても、情報を全て政府に開示しているとなると、魅力は一気にダウンだ。それはアリババでも同じだろう。

この辺が中国が抱える最大のソフトパワーのネックなのかもしれない。中国の人だって自立して、一般人がちゃんと尊重されることを願っている。それなのに、安定第一の政府は自信のなさからか、最近はどんどん縛りをきつくしている。K氏はこれは一時的で、少し経てば又緩むというが、本当にそうなのだろうか。

そうあってほしいけれど。
これ、本日の中国に欠けるソフトパワーの根源なり。

social code and liberty

Compared to her political system, actually spirits of Chinese people are far more freer.
OK, In China, there certainly are so much un-free governmental regulations that restrict peoples freedom.

However, the entity that watches you closely is merely a government. If there is no involvement of government, you could be highly free in China.

Best places to see Chinese free spirit are parks.
There, people are doing anything as they like without single hesitation; including self-Karaoke with a gigantic speakers, self-organized dance class under the trees, as well as self-toxicating Michael Jackson-like dancer, so as ojisan dancers with 3-meter-long narrow banners, and a sun-basing girl on the bench nearby the lake etc...

People are so free spirited!!

Watching them, I almost feel jealous and wonder how could they be so carefree and be themselves....

As a Japanese, I was raised with the virtue of not giving anybody any trouble.
I continuously ask myself how other people would think about my behavior?

The fear of offending others perception shapes Japanese society and restricts each individual's behaviors.
Though this could be asset of Japan, however, suffocates me sometimes.
In this regard, Chinese society is much freer.

Of course, there are unsolved question, how to balance free spirit and matured civil order.

Probably China need to tackle with her notorious ill-manners.
Japanese, on the other hands, are expected to be more tolerant to minor mal-behaviors by others, as well as a bit more carefree and honest to be ourselves.

Seems like we should learn from both ends and try to come to the center, for the better balance.


「妻として」というコンセプトがないことの自由さ

大学は卒業シーズン。各学年ももう大詰めで、9月からは新しい学年に進級する。日本で言うなら3月みたいな感じだ。

ふと、小学校3年生の息子に「もうすぐ4年生だね。」と言った後、自分が小学校の頃に言われて、背筋を伸ばした先生の一言を思い出した「もうこれからは中学年です。4年生としての自覚を持って過ごしましょう」といわれて、そうか、もうピカピカの1,2年生ではないぞよ、と自分を見つめた記憶がある。

考えてみると、日本社会では〜としての自覚を持って引き締めて行動せよ、と言われることが実に多い。受験生としての自覚、学級委員としての自覚、キャプテンとしての自覚、社会人としての自覚、親としての自覚などなど。

今日も、亡くった麻央さんの記事でも「妻として〜」と書かれていた。これは、今日の日本では非常に馴染んだ価値観だ。自分がどう振る舞うか、その時どうしたらいいかと言うことは人は常に悩むけど、その指針となるのが、〜としてあるべき姿を演じるということだろう。

話が変わるが、最近知人から面白いアンケート調査の結果を見せてもらった。中国人男性と結婚した女性の中国での生活についてのアンケートだった。

日本の人は日本人妻はさぞ、中国で大変な目に遭っているだろうと想像するかもしれない。

ところが、このアンケートには中国人男性は家庭を大切にするから良かったなどと言う良い面があげられている。更に深く感心させられたのはこの点だ。
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日本人だと無意識、意識的に理想の母親像、妻像、家族像があるけれど、イメージや枠がないので非常に自由でやりやすい。それが一番よかった。毎日のご飯作りや子供の世話など私には当たり前のような家事なのに、すごく褒められるので、やりがいもあります。」
Yさん(小学生の母、中国滞在歴14年)

「Yさんもおっしゃっていますが、こうじゃないといけないというのではなく、一つ一つ形を作っていけばいいよと言ってくれるのが、何よりも中国人の夫に嫁いでよかったと思える点です。」
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なるほど。これは非常に大きな違いだ。

先日も中国人女性を妻に持つ日本人男性が嘆く声を聞いた。「妻として、もう少し食事とか掃除とかしてもらいたい。」という。ところが、実際彼の家にはお手伝いさんがいるので、妻がそうしなくても家は回っている。

奥さんはそれが何か?と言う意識だが、日本人男性からすると、「家のは妻として失格」となるようだ。

やはり、日本では枠が先にありきなのだ。有る、理想の形を求めるのは当然だし、良いことだが、日本の枠は二人で話してできた理想ではなく、むしろ、「当然そうあるべきだ」と言う枠だ。

自分の母親がそうしてくれたから相手にもそうしてもらいたい、ということなのかもしれない。この辺、相手によって使う言葉を変え、状況次第でいうことを変える日本人の文化がにじみ出ている。

周りがこう期待するから、〜としてふさわしいから、又はふさわしくないから、ということが人生においてとっても大切な価値基準になっている。

ところが、中国では違う。それは正しいから。そう、自分はしたいからということ意外に彼らを縛るものはない。特に夫婦においては、「妻として」という枠を男性が女性にはめようとしないため、単なる家事でも感謝される。そこに良い循環が生まれるように思う。

枠を外すのは、実はとても良いことかもしれない。妻としてではなく、一人の人間として、一人の自分のパートナーとして見たらずっと変わって見えてくるのかもしれない。

これ、暑かった本日に頭に浮かんだこと。

My Beijing day from Rabeleis to Chekhov

My friend in Xinhua Net asked me if I am interested in working with their Japan section last night. I appreciated her kindness and yet, introduced my friend instead.

Then I looked up their HP日本語_新華網, which is pretty much filled with propaganda articles, but much sophisticated than before.
What strikes me is China's active release of information in various languages.
I really don't know how many Japanese would read Xinhua Japanese language news, but anyhow, they vigorously work on it.

Japanese Version of Renming net http://j.people.com.cn/ is another governmental news hub, whose contents look more rich and fresh than that of Xinhua.

OK, that was my short trip to propaganda media last night. they are improving and enriching a lot than before!

Then I rewrote an article about Chinese million seller book, Daqing Xianguo *a story of Premier Chen Yan Jing.

I read this long long story of office politics game with a taste of Qing dynasty history (in Japanese translation by my genius friend! ). Qing version of American House of Cards. (another Chinese favorite series! Chinese people are in deep love of fierce political games)

The author is Mr. Wang Yuewen, born in 1962 at Hunan, graduated from 2-year college and worked at government offices starting from county-, city- and at end, provincial level. (this tells he was a very successful ladder climber in Chinese local government hierarchy)

I was so surprised and pleased,though, to find out his favorite books were foreign literature like, 16th century French classic, Giant Man Story by Raveleis and Cherry Garden by Chekhov! How cool! He was not just a master of political game!

Mr Wangs Daqing Xiangguo is so much fan; I was totally taken away! Very much recommended. It tells you how Chinese politics work in the extremely complicated human guanxi web.

It is definitely a awesome historical and entertaining literature! Everyone who is interested in Chinese politics, history might want to read it. I am sure you can enjoy and learn a lot at from the traditional wisdom of Chinese politics.