あれっ合弁会社?いや、結婚です。

中国のイマドキの結婚が一部で(もちろん、全員ではないが)合弁会社設立のような気配になってきていることは他でも書いた通りだ。

 

初めて両家が顔を合わす会食の食卓で話題に上るのは、新郎が準備した家=マンション(これはマストと考える家が多数)の名義についてらしい。新婦の両親は娘の名前も入れて共同名義にすることを主張し、相互でネゴるらしい。家族の一回目団欒は早々にして財産所有権についてで、愛もへったくれもない。

 

結婚生活なんて色々大変なことがあって、お互いを尊重しながら、維持するしかないのに、最初からこれじゃ、長持ちしそうもない。金の切れ目は縁の切れ目だろう。

 

何でこんな残念なことが起きているかというと、おそらくそれは、両親の都合だ。社会福祉が未整備な中国では老後に頼れるのは子どもしかいない。子供の生活の安定は自分の老後の安定。子供の結婚の成否は自分の老後の成否となる。

 

昔だったら、子供がたくさんいたから、いろんなケースがあって、多数の子供が皆で力を合わせれば両親を支援できたが、今は一人っ子だ。この子しかいない、この結婚しかないと思うと親は子供の結婚相手に多くを求めるようになりがちなのではないだろうか。

まあ、全ての家がこんなことをしているわけではないだろう。中国でも多様化が進んでいるのだから。結婚よ、会社に成るなかれ!

これ、本日の北京なり。

盛り上がる日本の結婚式と無理をしない中国の結婚式

結婚式は中国でも年々派手になってきているが、面子の国だが、個人的には無理をしない国民性が良く出ていて面白い。

 

面子だから、とにかく大規模でやりたがる。10人テーブルの数が結婚式の規模を表す単位だが、30テーブル(つまり、300人)位は普通らしい。

 

もう一つ、無理をしない楽に行こうぜ、をモットーとする中国らしく、テーブルについた友人親族は、ステージでのショーそっちのけで、どんどん飲んだり食べたり、おしゃべりしたりし始める。食事もほぼ終わって、お酒もほぼ飲み終わると、はい終わり!と言う挨拶を待たずに、勝手に帰る人も出始めるのが中国風。

 

一方完璧主義を求める日本では、「すみません、4分押しています」「はい、3分でお願いします。」とプロがガンガン言ってくる。色んな手紙とかスピーチや出し物があって、皆で盛り上がれるように工夫されているといえば工夫されている。

 

日中両方の結婚式を表現して友人はいった、中国のは騒ぐ結婚式、日本のは盛り上がる結婚式だそう。中国は各自がテーブルごとに騒いで楽しみ、日本は会場全体で盛り上がる。如何にも日中の違いが出ている。疲れないのはどっちか?これは皆さまもうご存知だ。

 

これ、本日の北京なり。

来た来た、北京第2波

かなりコロナも落ち着いて来た6月12日金曜の午後、月壇路近くで患者が出た。この人は外国や外国人との接触も、北京から出たことも無い人。早速、小学校低学年の来週の再開も延期。(6年生は1日から、4,5年生は第2週から開始。6月以降は、中高も開始済み。大学はお預け。)

 

土曜日になって、「切り身のサーモン」でうつったとか、新発地という北京最大の生鮮食品卸売市場で40人以上の陽性がでたとか、伝わってくる。団地の開放されたばかりの門がまた、閉まってしまった。うちの下でも又カードと体温のチェックを始めた。

 

そして、本日日曜日。昼間は、国招二賓館と言うデカい国営っぽい施設の飲茶を目指したが、生真面目&不慣れ風な警備の兄ちゃんに顏認証やパスポート番号の入力必須の「健康キット」を要求された。今まで使えた電話番号だけの国務院の「緑色行程カード」方のを出したら見たことないと却下されて入れず。レストランからも追い出しを食った。

 

夜は、無性にズッキーニ焼きが食べたくなり、近所のスーパーや八百屋3店回ったが、全て売り切れ。そう言えば、昼間の大手スーパーも妙に品薄でおかしいと思った。卸売市場が閉まっているらしい。コロナが一番ひどかった2月にもない品薄状態。政府は流通にはすごく気を使って監視していたのに。

 

そして、品薄で売り切れ続出の小さな八百屋に来た斜めな感じの中年の叔父さん、「新発地の庶民への影響は大きいなあ!アメリカ人が良い子にしていないから!(美国人真不老实啊)」とポロリ。あらら、第2波もアメリカ人が持ってきた!ということらしい。

 

これ、感染はアメリカからと信じつつも、第2波で逆戻りな本日の北京なり。

獲得感、幸福感、安心感

最近よくテレビで聴く「人民の『獲得感』を増やそう」という言葉。獲得感って一体何?

調べてみたら15年ごろから、政府が言い出したバズワードで、その年の流行語にもなっていたらしい。

獲得感は幸福感の基礎、獲得感を得るには安全感(日本語では安心感かな)が必要、この幸福、安心、獲得感は三位一体!みたいなことが書かれている。要は政府の福利厚生などを人民が得たと感じ、それによって幸福感がもたらされることのようだ。簡単に言えば満足感。

そういえば、もう一つ去年の秋口から毎日CCTVで流れる政府系CMに「幸福とは何か?幸福とは奮闘すること。」という広告がある。なんか、こうなると一体どこの宗教団体かという感じだ。

でも、毎日、幸福とは何か、幸福とは汗を流して一歩一歩歩みながら自分が奮闘すること、これこそが幸福なのだ。なんて聞いていると、段々それが変だとも思わなくなってくるから恐ろしい。

それにしても、この国の人が今、一番強く感じているのは安心感の無さだろう。
政府内の人はいつ、汚職で捕まるか分からない(そういうジョークも良くきく)
企業家だって、同じだ。馬雲だって、劉強東だって、生きた心地はしないのではないか?(「永遠に楽観的態度を維持する」と年初に言っているが、それもなぜ、そう彼が言わなくてはならなかったか?)

中流家庭だって、子供が将来ちゃんと一流校に入って、中流生活を維持してくれるかということにものすごく焦っていて、不安を感じている。
余裕がある家はいざとなったらいつでも海外に逃げられるようにしておく、というのが常識になっているわけで、移民あっせんの広告も中流の住むアパートのエレベーターでも見かけるほどどこにもある。

まあ、中国の政府のキャンペーンはさかさまにして読めば良いわけで、今何が一番欠けているか、ということの証でもある。

獲得感とはそれにしても、創造的な言葉だ。
病院一つ普通の北京市民が安心して入れないのに。。。
(今日も知人のお母さんが急性膵臓炎で10日前に北京の航空病院に入院して、毎日抗生物質を点滴しているが、まだ炎症が引かずお腹が張っているという。病院と揉めているらしい)

私も安心感はもとより獲得感とやらを味わってみたい。

これ、本日の北京なり。

マナー専門家の怪しさ

最近、日中の家族観の違いからトラブル発生。

実の親だから気を許して甘えてしまっていたら、突然親から「親しい仲にも礼儀あり」「折り目正しくあれ」と御叱りが。

意味は分かるし、なるほど、そう考えるかということで、自分の想像力不足を謝罪し、かつ、改めて正式にご協力をお願いして、修正を試みているが、どうなることやら。

日本のネットを見ていたら、似たような世代間トラブルがあった。『プロが伝授する、里帰り出産のマナー』という記事があり、「娘と言えども結婚したら別世帯。親に世話になる時は1月3万円程度のお金を入れるのは当然」とあり驚いた。

イヤハヤ。勿論、里帰りを受け入れるかとか、どの位受け入れるか(分担するか)とかは個別に話し合えばいいと思うけど、そんなにしゃっちょこ張る必要あるのかな?

因みに中国では家族プロジェクトとという意識が強いし、友達どうしても、家族でも仲が良い人にはとことん付き合う。人に頼りにされるのは名誉でもあり、その時どの位「一肌脱げるか」が人間の価値といっても大げさではない位、親しい人に頼る、頼られるという関係を活かすことを重視する。

例えば、出産などの時に親に手を貸してもらうのも極自然の流れ。親しい者同士では逆にありがとうは要らない。阿吽の呼吸がある。言わなくてもそれを胸に秘めておいて、いつかその恩は返すというのが中国風。

悪用されると、じゃんじゃか親戚が芋づる式に押しかけてきたりと大変だし、いいことばかりではないが、中国風の濃い関係も、良く動けば、これはなかなか大人の味のある関係で、自分も成長させられる。大事な人から自分が必要とされるのはまんざら悪いことではない。

こんな濃い関係になれちゃって、いざ、日本風に親から「親しい仲にも礼儀」なんて言われちゃうと、何とも寂しいものだ。向こうの理屈も気持ちも分かるが、そこで、なぜ怒る?

家族を支援したいという気持ちはあるのだから、あとは、具体的にどこまで、という事を対に話し合えば良いだけじゃないかな。

マナーの専門家とかカリスママナー講師とかを見たが、本当に、こういう人が却って内容のある人間関係をカタチばかりの空っぽなものにしているように見える。人それぞれ違うし、事情も違うのだから。お礼の手紙の例文まで載っていて、マニュアル化された「完璧な」お礼や「マナー」こそ、相手をバカにしているのではなかじゃろか?

これ、本日の東京の景色なり。

高速鉄道の切符もズルして偽名で買ったら、5日拘束!

最近の国営放送は厳重取り締まりのことばかり。
先週は、春節特別輸送体制で取り締まりを強化。自分の身分証明書でなくて、他人のを使って旅行会社が一括購入した切符が安かったので使った乗客が駅で捕まるところを動画で撮って放送。何でも5日も拘束を受けたというから、とんだ「こうそく」鉄道になってしまった。

いまや実名による切符購入制度が条例できまっているとはいえ、たかが列車の切符を買うのに随分堅苦しくなってきた。

今日は昨年の夏に山東省から北京駅に高速鉄道で移動する間、人の座席を専有して動かなかったおっさんの有名な動画を又放送。こういうダメな人を取り締まるという理由で、取り締まる規則をどんどん作り、駅員(最近は鉄道公安とかいう組織)の注意を聴かなかった乗客は列車からおろして警察に連れて行くようになった。「本当に法整備が進んで良かった」という番組をやっていた。

列車だけではない。基層の警察も、車を取り締まっている時に昔なら法的には保障されなかったが、最近はこういう変な人対策として、3回警告を口にしてもいうことを聴かなかったから、目にスプレーをして車で連れ去ったという警察を「教科書的鮮やかな取り締まり」と褒めたたえていた。

でも、本当にこれがよかったのだろうか?
一部のトンデモナくお行儀の悪い非常識な人を見つけて(そういう人は確かにたくさんいる)、末端の管理者が簡単に一般人をしょっ引いて行けるシステムを去年からどんどん導入している。

これ、法治強化っていうかな?
市民からのチェックは、もちろん空白。

これ、本日の北京なり。

タクシー運ちゃん、録音でデータ通信を食ってしかたねーよ

本日の運ちゃんいわく、ちょうど1週間前に会議の報告で、これから滴滴で客を拾ったら、自動的に録音するという通知が来たらしい。それまで一日の携帯のデータ通信量は40-50MBだったのに、それから80〜100MBになったという。そりゃそうだ、音声を送付するんだから重い。

ということで、先週から北京でも一気にこれが進んでいるらしい。
滴滴のページを開いたら、音や画像を取るのにどう思うかという話合い投票、が開かれていた。7割が車内は公共空間だし、証拠が取れるのはよいこと、3割がプライベート空間だから録画とかは良くないということだった。

こんなことを始めたということは、それなりに抵抗を示している人がいるからだろう。
そういう議論が盛り上がる前にそういう意識に火が付く前に実施しちゃおう、とでもうかのようにものすごい勢いで導入している。

運ちゃんに「(白タクの)黒車とか違法のは取り締まらないで、タクシー運転手なんてちゃんと何から何まで登録していある人のを録音したりするとは何事よねえ」と言ったら「なに、中国はこんなもんよ。まあまあならいいんだ。あんまり個性をだすと面倒なことになるからなあ。」という。これは敗北主義なのか、現実主義なのか。長かりし皇帝の国の歴史なのか。

滴滴はしばらく使わない。
同じタクシーでも手を挙げて乗れば、合法的には録音スイッチは入らない。

これ、本日の北京なり